編集人:新井高子Webエッセイ


4月のエッセイ

  • 江戸の山桜

北野健治


桜の花々越しに見える蒼天は
限りなく深い

 前回に引き続き桜の話題を。
 桜というと、ソメイヨシノのイメージが一般的である。それがなぜだか種子島ではあまりお目にかからない。どちらかというと山桜をよく目にする。個人的にもボリュームで情感に訴えかけるソメイヨシノよりも、一本でも凜と立ち尽くす山桜のほうが好みだ。
 以前何かの文章で、花見の観賞の歴史を目にしたことがある。記憶によれば、梅・桃・桜と続く花見は、江戸時代にはその観賞グループの対象が花とともに移り変わっていく、ということだった。まず梅がカップル、次に桃が家族、そして桜が友人を含めた広い交際範囲のグループというもの。

 花見といえば酒はつきもので、年に一度、行きつけのバー主催の花見が行われる。前回書いたように、メンバー同士示し合わせて行くわけではない、普段は仄暗い灯りの下で顔を合わせているバーの常連たちが、この日だけは健康的な陽射しの下で一堂に会する。その顔ぶれを見ながら、この一年のみんなの無事を確認するという意味も兼ねていた。
 そんな宴の中に、その人はいた。
 私がバーに行きつけ始めたときには、もうその人はいて(というよりは、オープン当初からのメンバーだった)、年齢的には自分の親といってもおかしくないほどだった。
 その人はマスターのお父さんの知り合いで、バーがオープンする際に、寄り合いビルの一室に造作したのも、その人だった。お父さんが亡くなった後も、親しい付き合いが続いていて、バーの上階にある住居にも、よく泊まっていた。
 そのころのメンバーは、若かったこともあり、今では考えられないぐらいのハチャメチャな飲み方をしていた。終電を逃すこともしばしばで、その場合は、朝まで飲んでいるか、マスターに断って上階の住居に泊めてもらっていた。私も、何度(というのもおこがましいくらい)も上の部屋にお世話になった。階段を上がり、アコーディオンカーテンのそのまた先の階段を上ったところに住まいはあった。
 ドアを開けると、靴を脱ぐスペースに続いて上がり框があり、その奥に和室があった。部屋の中央には、昔ながらの天板が裏返せる(裏は、グリーンのメルトン)正方形の家具調こたつが置いてある。そこにいつも先客がいた。その先客というのが、その人だった。
 早い時間ならうたた寝をしているその人に一声をかけて、街が寝静まった夜半なら起こさないように、そっと空いた一方から身を差し入れたものだった。
 昔気質のその人は、腕のいい職人で、金額というよりも仕事内容、心意気で仕事を請け負っていた。驕っているように思われるかもしれないが、誤解を恐れずにあえて言わせてもらうと、誰かにほめられることや何かを期待するわけでなく、与えられた仕事に対して、手を抜くことなくコツコツと誠実に取り組む人たちが、かつては身の周りに必ずいた。そしてこういう人たちによって、この国は支えられてきた。
その人にお世話になったバーも何軒かある。明るく、人懐っこい性格で、独身だったせいもあり、男女を問わずファンがたくさんいた。そのため行きつけの店も方々にあった。
 口癖は、「あたしゃぁね、自分から飲みたいって言ったことはないんですよ、北野さん。いつも飲まされているんですよ」だった。
 江戸っ子らしく、ハ行をサ行で発音し、深く刻まれた皺だらけの顔をクシャクシャにして笑っていた。随分年の離れた若いメンバーたちに「ちゃん」づけで呼ばれても、いつもニコニコして機嫌よく受け答えしていた。
 バー恒例の花見では、その人はいつもみんなの邪魔にならないような気遣いをし、端のほうに座っていた。それでも、どこにいるかは、その陽気な笑い声ですぐにわかった。飲みすぎることはあっても、飲まれることはない、きれいな桜の花が似合う飲み方だった。というよりも、いつも独りできちんとした立ち居振る舞いは、江戸に咲く山桜のようだった。


散り敷く花びらは宴のしとね

 昨年の4月3日に、私はそれまでいた兵庫県から一家で種子島に転勤した。東京から遠ざかり、ますますバーに顔を出すのが難しくなったな、と内心思った。
 その2日後、バーのメンバーから携帯電話に連絡があった。転勤前にお別れ会をした際、そのメンバーにはバー関係で何かあったら必ず連絡をくれるように頼んだ矢先だった。胸騒ぎを覚えつつ、電話に出た。
「――さんが亡くなったって。詳しいことは分からないけど、東京から電話があったので、とりあえず連絡しました。」
 すぐにマスターに連絡を取る。事情があって、葬儀は身内だけで済ませるとのこと。話をしながら、陽気なその人の笑顔が脳裏をよぎった。
 早いもので、また今年も花見の季節が来た。島の山腹でひっそりと、しかし凜と咲く山桜を目にするたびに思い出す。
 松田輝男。職業、大工。平成21年4月4日永眠。享年79歳。
 最後に一度だけ「ちゃん」づけで呼ばせてもらうよ。
 「まっちゃん。そっちでもあまり飲ませられすぎないようにね。」

<前回・後日談>

 コスモスは水揚げの悪い弱い野草だと、前回のエッセイで書いた。それについて、いけばなに携わっている友人から、後日、次のようなメールが届いた。
「さて、コスモスは水揚げさえ上手く行けばコップ水でも相当長生きします。
 根っこまで出てくるくらい強い花ですよ。
 彼女もそういう女性かもしれませんね…」
 友人が教えてくれた花の習性は事実だろう。それでも私の中ではコスモスは、これからもずっとずっと弱い花であり続ける。