詩誌『ミて』


「ミて----詩と批評」 第165号(2023-24年冬)
  • 「ミて----詩と批評」
    第165号(2023-24年冬)
  • 目次紹介

ミて・プレスは、実験性・多文化性に富んだ、アナーキーな誌面作りを追求する詩誌『ミて―詩と批評』を刊行しています。この雑誌は、1998年6月に創刊され、何度か形態を変えながら着実に刊行を続け、既刊号数はすでに110号を超えました。
『ミて』は連載を基本にした雑誌です。この媒体を通して、執筆者があるテーマを追求する、そのひたむきな継続性を重視しています。7号までは季刊誌、8号から100号までは月刊誌、101号からは再び季刊誌として運営し、さまざまな連載執筆者を擁してきました。現在の連載陣は、イナン・オネル、前田君江、北野健治、樋口良澄、ジェフリー・アングルス、高野吾朗、新井高子の7名です。

翻訳家のイナン・オネルは、主に1950-60年代の激動期にあるトルコ語詩を、原語のリズムを活かした新鮮な日本語で訳出しています。前田君江は、ノーベル文学賞候補と言われたイランの詩人、アフマド・シャームルーのペルシャ語詩を、凝縮した力と繊細な機微を伝えながら翻訳しています。

北野健治は、美術や映像の批評を、日常の断章の中に溶け込ませる独自の文体で綴っています。樋口良澄は、「現代詩の巨星」と言われてきた鮎川信夫を探求し、冷戦と戦後を問い直す中で、その思想の鉱脈を掘りあてながら、現代を穿つ批評をしています。

母語でない日本語を詩の言語として選んだジェフリー・アングルスは、アメリカと日本を行き交う移動者の視点を活かしつつ、深い思索に富んだ詩を綴っています。高野吾朗は、(日本の)詩人としての自己をいったん解体かつ再構築すべく、そして、より多くの読者との出会いを求めるがゆえに、いまはもっぱら英語のみで詩作を続けています。

創刊号から執筆している、編集人の新井高子は、多様な角度から日本語を鍛える挑戦として詩を書き続けています。また、方言や小説言語、標準日本語とのクロスロードの中で、近現代詩を問うため、「萩原朔太郎ノート」を書き継いでいます。

さらに、各号、多彩なゲストに詩の寄稿をお願いし、紙面は小さくとも、豊かな詩空間を作り上げています。今後も、時代に呼応した、刺激的でクロスオーヴァーな誌面作りを展開します。

A4サイズの紙をまとめて折っただけという、綴じない装幀も、『ミて』の見逃せない特色と言えます。ホチキスも糊も使わない、このきわめてシンプルな装幀が、媒体に機動性を与え、継続を具現するためのベースとなっています。形ではなく、続けるという運動が、自由な空気をふくみながら、雑誌のページを繋ぎ合わせているのです。

これまでの活動(~100号)としては、スィナン・オネル(トルコ)、三木亘、松井茂、藤井貞和、ぱくきょんみ、ディヴナ・トリッチコヴィッチ(セルビア)、高橋悠治、坂輪綾子ら(活動順)による詩やレポートの連載もあり、高い注目を集めました。『ミて』を母体にしながら、「キいて」(詩の朗読会)、「カタって」(詩的言語会)の運営も行いました。

このような『ミて』を刊行するミて・プレスは、同時代に生きる仲間として信じ合う、個人的な繋がりで成り立っています。その繋がりをもとに、数多くある日本の詩誌出版の中でも、ひときわ粘り強く、息が長く、しかも読者をアッと驚かせる企画や活動を続けています。

インターナショナルなネットワークがあることも特徴の一つで、2008年、2011年に開催された国際詩祭「東京ポエトリー・フェスティバル2008」「東京ポエトリー・フェスティバル2011」では、トルコ、アメリカ、オーストラリアから詩人を招待する基地として活躍しました。
今後の展開も、どうぞご期待ください。


『ミて』執筆陣(115号~)

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