編集人:新井高子Webエッセイ


7月のエッセイ

  • ミャーの貝殻

北野健治

「今晩、空いてる?」
「今のところ空いてるけど。どうかしたの?」
「お世話になった人が監督した作品の上映会があるんだけど、よかったら付き合ってくれない?」

※              ※


夏色の海と空

南の島の海のシーズンは早い。今年の種子島の海水浴場で、一番早い海開きは4月30日だった。透き通る海の青さを目にしていると思い出す映画ある。現在、刊行中の『ミて』第111号のエッセイでも触れた故・成島東一郎監督の作品『青幻記 遠い日の母は美しく』(1973年、青幻記プロ)だ。

そのエッセイの本文では、作品に触れた経緯については、紙面上のスペースの問題もあって省いた。改めて、それについて述べると、冒頭のような友人の突然の電話がきっかけとなって、その作品に出合ったのだった。

誘ってくれたのは、件のバーの常連のひとりで、僕が行きつける前からのメンバー。ちょうど上映会の日は、彼女のパートナーの都合が悪いこともあって、僕にお誘いの声がかかった。

僕が、そのバーに行きつけ始めた1990年代の初め頃は、ひとりで訪れる女性客も多かった。その一人ひとりが、タイプは違っても“豪傑”だった。

何度も書いたように、互いに私生活のことには立ち入らないのが不文律なそのバーで、僕が彼女のプロフィールで知っていることといえば、「カメラマン」の仕事をしているということぐらい。でも、それで十分だった。

バーに来たどんな人の話でも一所懸命に耳を傾け、酔っ払うと男女の関係なく、気に入った人の頬っぺたにキスをする彼女。僕もその恩恵を被ったひとりだ。そんな天衣無縫の振る舞いの彼女を、みんなはチャーミングに感じ、気に入っていた。

成島氏とは、彼女の友人を通して知り合い、氏の事務所に出入りした時期もあったらしい。とは、作品の上映会後に、有志で流れた飲み会の席で彼女から聞いた。そんな話を聞きながら、やっぱりカメラマンなんだなぁ、と変に感心したことを覚えている。

あるとき、バーで彼女の写真を見せてもらったことがある。モノクロの花の写真で、テクニック的にも、構図的にも意表をつく、というようなものではなかった。それでも心にひっかかるもの――サムシング・エルスがあった。

写真を含めて「作品」について考えることがある。それは、「作品」がもつ魅力――サムシング・エルスということ。基本的に、誰もが「作品」を制作することは可能だ。だが、それが「作品」として成立する要因とは何か。僕は、作者自身の魅力に起因するところ大だと考える。と、ここまで書いてきて、心に浮かんだのが、先に触れた“チャーミング”という言葉(※)。

そう、作者が謹厳実直であろうと、性格が破綻していようと、たとえ可愛くても、かっこよくても、また話が上手くても、その人にどこかしらチャーミングなものがあるかないかが、「作品」が成立する要因として重要な気がする。

彼女も独身の頃は、例に漏れずカメラマンだけの仕事で生計を立てるのは難しかったらしく、いろんなアルバイトをしていた。その中の一つに、バーのマスターの知り合いがオープンした高級居酒屋の仲居さんの仕事があった。


打ち寄せた波の跡に残る貝殻たちのレリーフ

同じ頃、僕は雑誌の取材で北海道に訪れた。オホーツクの海に面した海岸に降り立ち、波に洗われた貝殻を2枚ほど手にした。東京に戻った僕は、彼女がバイトをしている店を訪ね、その1枚を彼女にプレゼントした。

オホーツクの海辺で拾った貝殻、とだけ説明しながら渡した白い貝殻を、彼女は受け取ると軽く噛んだ。

「海の音がする」

無邪気な笑顔でそう一言言うと、呼ばれたほかのお客さんの方に向かい、僕の前を離れた。貝の話は、それっきり。


陽光にきらめく南の島の貝殻

結婚してから、バーには次第に足が遠のいていった彼女だったが、たまに近況を耳にすることがあった。少し前の噂では、常連のひとりのお店の仲居さんのバイトをしているということだった。

猫が好きで、自分の名前の音にも似ているからと、これまた酔っ払うと「ミャー、ミャー」と鳴いていた。そう言えば、先の上映会の後日談がある。二次会のメンバーたちは「あなたが、私のパートナーだと勘違いしたみたいよ。そのままにしておいたけど」。茶目っ気たっぷりの表情で笑いながら言い、彼女は「ミャー」と鳴いた。

※ちなみに、島の図書館にある『ロングマン米語英英辞典』(総発売元 旺文社、1989年発行)では、「チャーミング」は、“charm・ing/(発音記号省略/ adj very pleasing;delightful:(以下例文略)”となっている。