編集人:新井高子Webエッセイ


8月のエッセイ

  • ジゴクノカマップタ ——粉のお話(2)

新井高子

わたしが生まれた桐生の家では、8月1日は地獄の釜の蓋が開く日、土地言葉で「ジゴクノカマップタ」と呼ばれております。それから、しばらくしてお盆になれば、ご先祖をはじめとするお化けさんたちが、この世にワンサと帰省してくるわけですが、この日に、閉じ込められている地獄の釜が、ズズズッーと蓋を開けはじめ、お化けたちはそろそろ旅支度をする頃合いなのでしょう。
 小学生のころのわたしは、この「ジゴクノカマップタ」を何となく引け目に感じておりました。童話やマンガの影響でしょう、おんなじ黄泉なら、ロマンチックな天国に憧れがあったのです。宝塚の「ベルばら」にもぞっこんハマってましたから、オスカルとアンドレが白いお馬車で昇天していく雲の上の花園と、キュウリや茄子の牛馬に股がる仏壇のご先祖たちが、どうしても繋がらないことは、そこはかとない無念でした。何より、どうして地獄なのか、という根源的な不満もありました。とは言いながら、提灯をぶら下げて、父や兄弟といっしょにお墓へお向かえに行くときは、何だか無性に胸が高鳴って、お盆が大好きな子どもでもあったのですが‥。
 いつのまにか大人になってしまい、近しい人を何人か亡くしてみると、みーんな地獄にいくんだよ、分け隔だてなく灼熱の釜ン中にいるんだよ、という発想に、じつにサッパリした、いえ、むしろ毅然とした知恵や達観を感じてしまいます。しかも、炎に炙ぶられた大釜を棲み処(すみか)としながら、夏ごとに途絶えることなくこの世へ息抜きに来る、幽霊たちの逞しさこそ、心底、敬いたくもなっていて‥。


餡を丸める


小麦粉と水を混ぜる


捏ねる


餡を皮でくるむ

じつは、この「ジゴクノカマップタ」の日には、特別な食べ物を作ります。その名も「ジゴクノカマップタ」。
 作り方はカンタンです。煮ておいたツブ餡を大きめに丸めます。そして、小麦粉に、溶き卵を少し入れた水と塩少々を混ぜ合わせて、耳たぶくらいの柔らかさに捏ね、それで餡をくるみます。そのあとは、油を引いたフライパンで焼くだけ。ただ、焼くときは、まんじゅうをわざと潰して平たくします(早く火を通すためでもあるのか‥)。そのとき、餡ンコが飛び出してきたりしますが、どうか気にせずに‥。火が通れば、できあがり。
 なんというか、餡と皮が分化する前のドラ焼きと言えばいいか、無惨に潰れたおやき、いえ、魚型を忘れたタイ焼き、いいえ、餡ンコ味のお好み焼きとした方がむしろ伝わりやすいのか‥。わたしの祖母は、餡ンコを煮るのがとっても上手で、自分の実家の地粉を使って、しかもゴマ油で焼いてくれました。だから、見テクレはさておき、風味は抜群だったのです。そのうえ、何に付け、料理を大量に作るタチの彼女は、仏壇に供えてから家族が食べる分だけでなく、家業の織物工場の工員さんやまわり近所へも振る舞っておりました。皮から餡がマダラに覗き、ところどころ焼け焦げがついた、妙に大きなお菓子。知らない人が見れば、何かのひどい失敗作としか映らない代物を、祖母は大事そうに皿に乗せ、わたしたち孫に、近所や工場へ届けるよう指し図するのです。
 わたし自身はと言えば、ベルばらファンの小学3、4年生くらいまでは、チョコレートの方がずっと美味しいのに‥と思っていたのですが、中学に上がる手前あたりから、俄然、餡ンコに目覚めてしまい、ジゴクノカマップタも好物になっていました。子どもから女のからだへ、脱皮が始まったんですネ。

農文協が出版している『日本の食生活全集 聞き書 ○○の食事』というシリーズは、ロングセラーですから、ご存知の方も多いのではないでしょうか。日本各地の料理を詳しく聞き書きした、全50巻の全集のうち、『群馬の食事』版を持っているので、エッセイを書く下しらべに‥と思い、「ジゴクノカマップタ」を探してみました。
 それが、ないのです、どういうわけか‥。8月1日は、たしかに行事の日になっているのですが、餡の入った炭酸まんじゅうや茹でまんじゅうを作ることになっていて‥、この個性的な菓子が、ない。でも、わたしの親戚や近所では、「オクンチのジゴクノカマップタが、一番うンまい」とか、祖母の味はモテハヤされ、皆んなが知ってるものだったんですよ(オクンチは屋号です)。


フライパンで焼く


つぶす


裏返す


できあがり。熱いうちにぜひ!

ジゴクノカマップタなる名前がコレにあるということは、お化けたちを幽閉している「地獄の釜の蓋」、ソノモノに、見立てられているわけでしょう? だから、じつはとっても大事な食べ物なんじゃないかなぁ。炭酸まんじゅうのような器量良しのお菓子では、地獄との対峙なんて、イッタイゼンタイ無理だと思うんです、わたしは‥。じっさい、ほかの菓子、例えばボタ餅を丸めるときの祖母の指先はかなり繊細なのに、ここでは思い切って羽目を外してました。
 でも、ジゴクノカマップタは破天荒に作らないと‥、みたいなウンチクは、祖母から一切聞いたことがない。ひたすら、からだの習慣というか、祖母の実家のやり方を思い出して作っていただけで、地獄の蓋の形を意識して真似たわけではないでしょう‥。コレがなけりゃア地獄は開かンないんだよ、というようなことは言ってましたが。

ただ、炎暑の八朔に、スリップ一枚の太っちょな祖母が、大汗を拭きとりながらこしらえた、もの凄い名の食べ物を、やはり汗を掻き掻き、皆んなでカブリッつくのが、腹の底から愉快なんです、わたしは‥。地獄の釜の蓋は、生きてる者たちがガツガツ喰らうことで開く、ってわけでしょう? わたしが齧った歯の先が、巨大な冥界の、ど熱い鉄蓋へ通じてる‥。前歯を立てる瞬間だけ、黒眼のない不思議な小鼠にでもなったよう‥。この菓子が抱えているだろうヒミツを、しみじみ勝手に妄想するならば、死者たちを地獄に閉じ込めているのは、生きてる人間だよ、鼠のような自分たちなんだよ、と諭す意識さえ潜んでいるんじゃないでしょうか。
 上州の庶民の間に砂糖や餡ンコが入ってきたのは、はやく見積もっても、せいぜい江戸と明治の境い目あたりでしょうから、それほど由緒ある菓子とは言えないだろうと思います。お江戸のような文化の中心地から伝わって、いくらかデフォルメされただけかもしれませんし‥。それでも、ジゴクノカマップタという訛った名前の、不細工な食べ物について考えるのは、わたしにとって奇妙なほど楽しく、もしかすると、「諧謔」なる現象を、ことばでなく物体として、実体として、最初に教えてくれたのかもしれません、これこそが‥。

私には二人の祖母がいて(アッ、だれでもそうですよネ‥)、父方の祖母はかなり仏教を信じていて、般若心経などよく仏壇にあげていたし、写経もしたようです。ものすごく勘のいい、霊感の強い人に見えました。晩年、視力が衰えたせいもあるでしょうが、祖母の口から、ダレソレが夢枕に立ったという話などを聞くと、ふだんの暮らしの裏ッ側にただよう、何とも暗い、黴くさい匂いを、不意に嗅がされたような気がして、声に凄みを感じたものです。須藤こまと申します。
 ジゴクノカマップタをわたしたちに食べさせ、近所へ使いにやらせたのは、もう一人、母方の祖母のほう。一人娘に婿をとったので、わたしがいっしょに暮らしたのはこちらです。対照的に世俗的な人間で、彼女が仏壇にあげるのは、線香とお供えくらい。ただ、仏様や神様にお供えを欠かさないこと、それを自分の手で作ること、そんな行ないの中に、彼女のからだの信心があると言っていいのかもしれません。今年97才なので、得意な料理をほとんどしなくなりましたが、カクシャクとしております。新井てい子と申します。

※写真は、1〜2人前用に私が試しに作ったものなので、かなり小作りになってしまいました。てい子婆ァのは、もっともっと大胆不敵でしたよ。