編集人:新井高子Webエッセイ


7月のエッセイ

  • 驟雨の秘密

北野健治


夏地のカンヴァスに
大きな雲が漂っていく

今年の島の夏は驟雨が多い

今年の島の夏の様子は、ちょっと変だ。いつもなら梅雨明けの後は、「これでもか!」というぐらいの陽射しが、朝から降り注ぐ。それが一向に天候が安定しない。朝、積乱雲くずれのような雲が、夏の濃い青空を背景に漂い、時折、空一面を雲が覆う。また日中では、梅雨時のような激しい雨脚の驟雨が、何度か襲う。その様子を窓越しに眺めながら、ある記事をきっかけに映画のワンシーンを思い出した。

ピーター・フォーク(1927年9月16日‐2011年6月23日)。その訃報を目にしたのは、間もなく梅雨明けしようとしていた時季だった。

日本では、1970年代にNHKの土曜日の夜の海外連続ドラマ『刑事コロンボ』シリーズで一躍有名になった俳優だ。いわゆる「寅さん」の渥美清のように、日本では、ピーター・フォークと言えば「コロンボ」というイメージが強い。が、実際には、幅広い役をこなす一級の映画人だった。

彼が、そうした映画人であることを知ったのは、別の映画人との絡みからである。その人物の名は、ジョン・カサヴェテス(1929年12月9日‐1989年2月3日)。

カサヴェテスと出会ったのは、まだ僕が20代後半のころ。その当時、僕は大阪に居た。すでにバー通いは始めていて、週末は映画を観、その足でバーへ、というのが習慣になっていた。

映画、といっても、そのころからロードショー的なものは苦手で、単館系の、いわゆるミニシアターで上映される作品をもっぱら、時には、はしごしながら観ていた。

今はどういう状況かわからないけれど、そのころの大阪では、ミニシアターと言えるようなものは数えるほどしかなかった。その中でもお気に入りだったのは、大阪市内の淀屋橋にあった三越百貨店内の三越劇場。僕は経験したことはないけれど、名前が示すように、ごくたまに芝居もやっていたように記憶する。でも興行の大半は、映画上映だった。イメージで言えば、大阪の岩波ホール、と言ったところか。

この劇場には、本当にお世話になった。その一例を監督の名で挙げれば、トルコのユルマズ・ギュネイ(1937年4月1日‐1984年9月9日)、また若き日のフランスのジャン=リュック・ゴダール(1930年12月3日‐)、そしてイタリアのフェデリコ・フェリーニ(1920年1月20日‐1993年10月31日)などなど。

さて、話はカサヴェテスに戻そう。僕が三越劇場で観たのは、彼が出演・監督し、遺作ともなった『ラヴ・ストリームス』(1984年作品)。この作品には、残念ながら先のピーター・フォークは登場しない。

では、なぜ二人か。結論から言えば、カサヴェテスが監督した重要な作品のいくつにも、ピーター・フォークが出演しているから。本当は、そこにもう一人、ベン・ギャラザ(1930年8月28日‐)を付け加えたい。この三人が組んだ映画の話は、機会があれば、またいずれ。

脱線ばかりで申し訳ない。もう一度、『ラヴ・ストリームス』に話題を戻そう。この映画の主要な登場人物は、二人。監督を務めるカサヴェテスと彼の公私とものパートナーだったジーナ・ローランズ(1934年6月19日‐)。

二人が演じる役どころは、次のようなものだった。カサヴェテスが演じるのは、飲んだくれで女癖の悪い、今で言うならチョイ悪でバツイチの流行作家。そしてローランズの役は、過剰なばかりの家族への思い入れから、夫と娘にストレスを与えている。そのあげく家庭崩壊を招いて、離婚協議中の人妻だ。二人は、弟と姉という設定。

ここで一言断っておく。今回の映画については、あえて僕の記憶だけを頼りに語りたい。だから、実際の映画とは若干(いやはや、全然かも)違う可能性がある。つまり、あくまでも、現在の僕の『ラヴ・ストリームス』だ。

もう少しストーリーに補足を加えよう。流行作家の弟は、取材と称して今日も若い女とうつつを抜かしている。しかし、どこか満たされない。そう彼は、姉と違い"愛する"ということがわからない。自分自身をもだ。そんな日々に、姉が先の理由から彼の自宅に転がり込んでくる。そして、彼女が家を出て行くまでの日々が描かれている。

この映画が、今でも鮮やかに印象に残っているのには、主に二つの理由がある。

そのひとつが、次のセリフ。

「美しい女は、秘密を持っている。でも、それを語らないと腐っていく」

もうひとつは、テーマを描き出すその手法。僕は、デフォルメされることで、物事の本質が顕わになるということをこの作品から学んだ。「愛」は、生半可なものでなく、戦いであり、その使い道によっては、破壊的な力を持ち、クレージーで危険なものである、ということも。

映画の終盤、弟を慮った姉が、彼に"愛情"を経験させようとしてペットを飼うことを提案する。そのペットも、犬・猫の小動物だけでなく、ヤギもだ。そしてある土砂降りの日、姉のことを気遣う弟が、つば広の折れ曲がった帽子とレインコートを身にまとい、ずぶ濡れになりながら、ヤギを家の中に引き入れる。

その数シーン後、姉は家を出て行く。独り残された弟の顔のクローズ・アップ。スクリーンには、大文字のタイトルクレジット「LOVE STREAMS」が流れ出す。

この映画を観て以降、何度バーで、美しい女性に、"秘密を話せ"と言ったことか。雑誌『スイッチ』のカサヴェテス特集号を貸したままのM子よ。腐ることなく、今も耀き続けているかい。