編集人:新井高子Webエッセイ


4月のエッセイ

  • 南海のシテール島

北野健治


近く、そして遥かに浮かぶ無人の島・馬毛島

何度も記してきたように、種子島の冬は、風が強い。ために、シケの日も多い。澄み渡った青い空の下、白い波頭を顕している海原の日が続くこともある。
 そんな海原の種子島の西、約12㎞沖に、無人の島・馬毛島がある。かつては、トビウオ漁で栄えていた島。完全な無人の島になったのは、資料によると昭和55年のこと(①)。
 開発の波に飲まれ、とある企業に島のほとんどの土地を買収された。現在は小康状態だが、米軍の艦載離発着訓練場の候補地として、地元を賑わしている。このあたりの事情については、先に触れた資料に詳しい。
私が、この島を取り挙げたのは、そうした問題からではない。シケの海原に浮かぶ島を目にしていた日々、ある記事をきっかけに思い出したことがあるからだ。
 テオ・アンゲロプロス(1935‐2012)。ギリシャの映画監督。私が、名前で観る数少ない監督の一人。彼が、映画の撮影中にオートバイに轢かれ、命を落とした記事が、今年の初めのある日、新聞の片隅に載っていた。享年76歳。
 代表作のひとつに挙げられる『旅芸人の記録』(1975年製作)をはじめ、彼の日本で公開された作品は、ほとんど観た。という自負があるくらい、彼の作品に、はまっていた。中には、ちょっとシンドイなぁと思うものもあったけれど。
 そんな彼の作品の中で、どれか一本を、と言われたならば、僕は、個人的な思い入れのある作品を迷わず選ぶ。それは、「シテール島への船出」(1984年製作)。
 さて、ここからは、いつものように僕のおぼろげながらの記憶による。
 物語は、長い間、亡命していた革命家であった父が、故郷に戻ってくることによって生じる出来事がエピソードとしてつづられる。
 故郷に受け入れられることのない父と、亡命していた間、待ち続けていた妻。故郷を後にし、"シテール島"へ向けて、戸板のような薄い板の上に佇む二人が、霧の中の波間に、漂いながら遠ざかっていく。
 この映画で、忘れられない、もうひとつのシーンがある。それは、父が去っていく港の場末のバーで、息子とそのパートナーがダンスをするシーン。それは、言葉がないだけに、狂おしく、切ないものが胸に迫ってきた。
 年末の帰省者が多く、閑散とした大阪の街外れの名画座で観たあの日のことを、今でも思い出す。

※              ※

愛媛と山口を結ぶ定期航路。最終便とあって夜も遅く、乗船する人もまばら。出航までは、まだ小一時間ほど余裕があった。
 待合室に居続けるのも、なんだか。ということで、近くの居酒屋に二人で入った。
 客は、僕たちのほかに、あと一、二名いたかどうか。品書きは、港の店らしく小料理っぽいものばかり。ビールを一本だけ注文した。カウンターの奥に据えられたテレビの音声だけが、店内に響いていた。
 ずいぶん、いろんなことを話したような気もする。その一方で、まだ何も話していないような気がする。
 そんなことをぼんやりと考えていた僕と彼女の間に、ビールが置かれた。
 さっきまで話していたことを呟いてみる。
「救い」――と、僕。
「使命」――と、彼女。
つがれたビールを一口含む。
いつの間にか、出航の時間。
甲板から港を眺めると、暗い風景の中、船着場に佇む彼女の姿が認められた。手を振ることもなく、遠ざかっていく船を見続ける彼女が、そこにはいた。
「救い」、、、「使命」。改めて、僕は口にした。

※              ※

"シテール島"は、ギリシャの人たちにとって、理想郷のことを意味する。そのことを知ったのは、フランス文学者の故・井上究一郎氏のエッセイによって。そのエッセイ集は、彼女にも贈った。
 あれから何度、島を夢見、目指し続けていることだろう。
 シケの波間に浮かぶ馬毛島を前に、「救い」、そして「使命」と口ずさんでみる。

参考資料:①『馬毛島、宝の島 -豊かな自然、歴史と乱開発-』(馬毛島環境問題対策編集委員会:編著 株式会社 南方新社:発行 2010年9月30日発行)