編集人:新井高子Webエッセイ


8月のエッセイ

  • 死者のいる風景ーーハバナの12月

越川芳明

キューバのハバナに来てまだ2週間だが、12月は黒人信仰「ルクミ」(サンテリアとも呼ばれる)の儀式がそこかしこである。
 儀式といっても、キリスト教みたいにどこか決まった教会や礼拝堂でやるわけではない。民家の中でプライベートにおこなうので、伝手がないと入れない。
 私が泊まっているのは、ニューヨーク・シティのロア・イースト・サイドみたいに、道路はごみだらけで人でごった返すハバナの下町、「セントロ」と呼ばれる地区だ。
 カサ・パルティクラルと呼ばれる民宿を経営しているのはブランカという中年の白人女性で、夫のガブリエル(愛称ガビー)は「ルクミ」の司祭(ババラオ)だ。
 二年前の夏に「マノ・デ・オルーラ」という入門の儀式をおこなって、擬制の親子関係を結んだ。ガビーは私より二十歳ちかく年下だが、私の「パドリーノ(代理父)」である。
 私にとっては、まるで私塾に寝泊まりしているようなものだ。分からないところがあれば、すぐに「師匠」に訊くことができる。家で儀式があるときは、身近で見ることができる。
 夜遅くハバナに到着した日に直接訪ねていき、泊めてもらった。お土産の白いアディダスのスニーカーを渡して談笑していると、パドリーノが言った。
 「あさって、マノ・デ・オルーラがある。三日目のイファ占いだけど」
 ということは、その日に、動物の生贄(マタンサ)の儀式をおこなっていたわけだ。何を屠ったのか訊くと----
 「雄鶏を8羽」という返事だった。

12月4日(土)が聖女バルバラの日であることもあり、その週末には行事が相ついだ。
 カトリックの聖女バルバラは「ルクミ」のオリチャ(守護霊)の一人、雷・火・太鼓などを司る「チャンゴ」と習合している。守護霊が「チャンゴ」であるガビーの腹違いの妹イリス・カリダーの家で、夜遅くまでフィエスタがあった。
 そこは対岸の街レグラやカサブランカへ向かうフェリの渡しがあるハバナ湾のちかくにある集合住宅で、黒木和夫の映画『キューバの恋人』で、若い頃の津川雅彦がハバナの街で引っかけた(と思った)女性を訪ねていくアパートによく似ていた。四階の部屋の入口に立っていると、洗濯物が干してある中央の吹き抜けの部分を、テレビの音や、誰かが人を呼ぶ声などにまじって、他の部屋で行なわれているタンボールの演奏や歌声が、まるで火山の噴火のように勢いよく下から突きあげてくるのだった。
 フィエスタの前に、チャンゴに捧げるタンボール(太鼓)の儀式があるという。ガビーの妹の知り合いの家に行ってみると、演奏はバタと呼ばれるルクミの儀式のための太鼓ではなく、カホンとギラと鉦だった。オリエンテ(キューバ東部)のやり方だという。
 

だが、玄関から入った突きあたりの壁に、死者の霊に捧げる「ボベダ・エスピツアル(精霊ボベダ)」が飾られていた。小さなテーブルの奥の方に、赤い服をまとった黒人の人形が鎮座しており、葉巻が添えられている。面白いのは、宗教的な混淆をしめすかのように、中央の聖水の入ったコップの中には、磔のイエスの十字架が入っている。その他の聖水入りのコップにはバラの花が入っている。中央の大きな花瓶には、薄いピンク色のグラジオラス、小さいひまわり、香りのよい白いアスセナ、緑のアルバカ、紅色のバラなど、色とりどりの花が飾られていた。壁に飾られたアレカと呼ばれる扇状の葉や、セドルの小枝と葉が鮮やかな緑の森を演出していた。
 翌日の夕方には「死者たちに捧げるカホン」の憑依儀式があり、カホンや鉦の音、ラム酒や葉巻に誘発されて、神がかりになる人が続出した。
 儀式の最後のほうで、儀式をとりしきっていたサンテロ(司祭)彼自身が死者の霊に取り憑かれている様子で、いきなり私を中央に引きずりだして、皆が取り囲むなかで、私のめがねを乱暴にはずし、死者たちの口伝をほどこした。
 現在の仕事のほかにもう一つ仕事をやっているか、と訊くので、やっていると応じると、現在か将来においてそうとう金が儲かるという、うれしいお告げだった。そのためにも、亡くなった祖父のために花やろうそくや線香を捧げる必要がある、とサンテロは付け加えた。
 

その翌日には、朝に家の居間で、遠くスペインにいる「娘」からの依頼で、彼女の守護霊であるオチュン(愛や出産や黄金を司る)に動物の血を捧げる儀式があった。若い司祭であるガビーの息子も参加して、部屋の一角にゴザを敷き、オルンミラという占いの盆でひと通りイファの占いをおこなってから、雄鶏3羽と雌鳥1羽を生贄にした。それらの血をオチュンのカスエラ(容器)に捧げ、その後、カスエラの上に大皿を乗せ、パンとカカリヤと呼ばれる白い粉をまぶしたパンを添え、ろうそくを灯して1週間ほどオチュンに祈りを捧げるのである。
 夕方には、セントロから45分くらい満員のバスに揺られて郊外のマリアナオ地区に行き、ガビーの「娘」(守護霊がオチュン)である若い女性のために、ごみで汚れた川のそばでオチュンに雌鳥の血を捧げる儀式を見た。生贄にした雌鳥はそのまま川にながして、持ち帰らなかった。
 これが、ほぼ一週間の出来事である。
 はたして、あの「死者たちに捧げるカホン」の夜に、サンテロが死者の霊に代わって私に語ってくれたことは、真実なのだろうか。キューバにはこういう諺がある。「真実は、嘘つきが語ったものでも、なんとも信じがたいものだ」と。
 真実とか嘘とか、そうした二分法にとらわれるとハムレットのように解決策のない泥沼におちこむ。私は真実であれ嘘であれ、ともかくサンテロのことばを信じることにした。

(『ミて』117号初出)