編集人:新井高子Webエッセイ


4月のエッセイ

  • DANCEの時季(とき)

北野健治

こんな夜は 一緒に踊ろう
狂ったふりして 音楽を流して
だってそうじゃあない だってそうじゃあない
その楽しそうな顔がすべてだから(※)

※              ※

今年は、すでに終わった花見の季節。以前、書いたことがあるかもしれないけれど、個人的には一本の樹で凜として咲く山桜が好き。でも、狂ったように群舞して咲く染井吉野にも違った思いがある。
 風に舞い散る花びらに包まれると、なぜだか心の奥底に潜む「そぞろ蟲」が蠢きだす。それに誘われて、心も身体もソワソワする。それは「酔う」という感覚にも似ている。

※              ※

大学を出て、就職した最初の勤務地は、大阪だった。28歳の晩夏に、東京の出版社に転職するまで、僕の20代の大半は、浪速の街で過ごした。
 父の墓が大阪にある。時折、墓参を兼ねて、大阪を訪れることがある。浪速独特のにおい。とともに、無茶なこともして過ごした日々の甘酸っぱい想い。かつて意味もなく歩き回っては時間をつぶしていた街の辻々に触れるたび、今も、その当時の感覚に襲われる。

※              ※

彼女は、僕の高校時代の同級生と同じ職場で働いていた。今はもう死語になった〝ハウスマヌカン〟だった。いや、彼女の謂いでは、〝ファッション・アドバイザー〟 だったかな。
 同級生の紹介で知り合った彼女とは、僕がファッションに興味を持っていたこともあって、話が合った。いつの間にか、同級生抜きで、二人で会うようになっていた。
 彼女の仕事の関係で、会うのは、たいていウィークディの夜。彼女も飲むことがすきだったので、バーで落ち合うようになった。最近、観た映画や美術展、それから気に入った音楽など、とりとめのない話が延々と続いて、夜を過ごした。
 彼女に対して、僕は、とてもわがままだった。あるとき、出張先から大阪駅に着いたとき、無性に彼女に会いたくなった。ホームの公衆電話(まだ、携帯電話なんて、なかったよね)から、彼女の勤めている売場のブースに電話した。
「どうしたの? 急に」
「ただ会いたいから、電話したんだ。いつものところで、待ってる」
 そう言い終わると、彼女の返事をろくに聴きもせず、受話器を置いた。その足で、僕はいつも待ち合わせるバーに向かった。
 ジン・リッキーを2杯飲んで、すこしたゆとい始めた。そのとき彼女が、息を切らせながら隣に座った。
「ひどいヒトね」
 鼻を少しふくらませながら、彼女は言った。
「そうかも。でも、会いたかったのは、本当だったから」
 彼女は、怒るでもなく、マスターにシェリーを注文した。
 それから、いつものように冗漫な会話をいつまでともなく紡いだ。

※              ※

こんな夜も 君を呼んで
酔ったふりして 星をつかんで
街の隅で 小さな部屋で
夜の中 夜の中
街の中 大きな都会 キラキラ(キラキラ)
君と僕 夜の中(※)

※              ※

大阪の桜といえば、造幣局の通り抜けが有名だ。けれど、それにも勝るとも劣らないのが、造幣局に並行して流れている旧淀川の上流・大川沿いの桜並木。花見の季節には出店が並び、見世物小屋まである。その時季だけの異空間。
 彼女と訪れたのは、もうずいぶん時間も遅く、出店も店じまいしたあと。ただ街燈に浮かび上がった桜の樹々に、「そぞろ蟲」が騒ぎ出した。
「踊ろうか」
「えっ」
 支離滅裂に身体をゆすり、彼女の手を取って、くるくる回した。最初は戸惑っていた彼女も、いつの間にか笑いながら踊っていた。
 ひとしきり騒いだ後、自販機で缶ビールを買った。そして、川沿いに据えられたベンチに、二人並んで座った。ついさっきまでとは違い、無言で目の前の川面の流れを追った。右と左、どちらが川上で、川下か、わからない。ただ、暗く大きな流れが目の前に広がっていた。それを二人で眺めていた。
 その頃、僕にはフィアンセもどきのパートナーがいた。パートナーが留学中であることを、彼女は知っていた。知っているはずだった。留学が、その年の6月に終わるということも。また、遠距離恋愛が、うまくいかなくなっていたことも。具体的なことは話さないまでも、話の端々に漂わせていた。それら全部を含めて、自分のずるさを認める。
 5月の初め、僕は、パートナーと留学する前に交わした約束を実行することに、迷った末に決めた。それは、留学が終わるときに、迎えに行くという約束。
 そのことを彼女に伝えることをためらう日々が続く。が、ある晩、意を決し電話した。
「彼女を迎えに行くことにしたよ」
「………。そう。でも、もし、私が大切なら。この電話を切った後に、もう一度、電話をかけ直して」
 受話器の向こうで、電話が切れた音がした。
 思い悩んだ僕は、姉のように慕っている、今でも付き合いのある女性に電話した。そしてさっきのやり取りを話した。
「絶対に、電話しなおしたら、だめ」
 きつく女性には、言い渡された。それから僕は、アドレス帳の彼女の欄を黒く塗りつぶした。

※              ※

こんな夜は 一人流された
(バイク ギター ★★★)
出来たばかりの唄 口ずさんで
きれいだね きれいだね
月の向こうまで(※)

※              ※

桜を見ると「そぞろ蟲」が騒ぎ出す、と書いた。本当は、自分の卑しさとずるさで、胸が詰まりそうになる。若かったから、という言い訳をする気はない。そのもう一匹の黒い蟲は、今でも自分の中に潜んでいることを知っているから。
 ただ、もし許されることがあるとするなら、二人で踊ったあの夜、あのひと時の楽しさは、嘘じゃあない。何物にも変えることのできない、二人だけの時間だったということ。
 彼女は、今、どこで、どうしているのか。桜を見ながら、そんなことを思うことがある。

※              ※

種子島・西之表市の夜の繁華街

だってそうじゃあない だってそうじゃあない
その楽しそうな顔がすべてだから


※「ダンス」(作詞・作曲:前野健太、アルバム『ロマンスカー』収録、romance records /2007年9月5日リリース)。
 なお、歌詞カードに歌詞が記載されていなかったため、掲載した歌詞は筆者の聞き取りによるもの。
 その際に、一箇所ほど聞き取れなかったため、その単語を★★★で表記した。