編集人:新井高子Webエッセイ


7月のエッセイ


  • 黒い糸のメッセンジャー

北野健治

 前評判の高かった割に、あっけなく一次リーグ敗退が決まったサッカーのワールドカップの日本代表チーム。その胸に輝くエンブレムのヤタガラスは、一度も舞うことができずに、寂しそうに見えた。
 知っている人も多いと思うけど、このヤタガラスは、『古事記』や『日本書紀』に現れる、ネイティヴな日本の古代の神々と戦い、苦戦する神武天皇を勝利に導いたことで有名なカラス。その特徴は、なんといっても3本足。いわゆる普通のカラスとは違う。
 今でこそ、カラスは一般に禍事のシンボルのように日本では思われているけれど、かつては先のヤタガラスもそうだけれど、ラッキーなシンボルだったりと、解釈はさまざま。
 漢文で「金烏」といえば、太陽のことだし、シモーヌ・ヴェイユが、エッセイの中で取り上げていたエスキモーの伝説では、闇に覆われていた世界の中で、カラスが「光あれ」と心から願ったときに、光が生まれたというエピソードがあるくらい美しいトリでもある。
 そうしたシンボルとしての「カラス」がいる一方で、現実のカラスは、童謡「七つの子」を彷彿とさせる、かつては夕焼け空を飛んでいたのどかで和やかな鳥から、都会の早朝に、飲食店等が出す生ゴミを、人目を気にすることなく漁る、獰猛な鳥の姿が僕には染み付いてしまった。
 それは、地方でも同じことで、人が排出する多量の生ゴミのせいで、カラスの生態は、すっかり変わってしまったような気がする。その変化の原因は、人間に帰することが大で、カラスには罪はないのだけれど……。
 先日、妻は、PTAの集まりで、4~6月頃のカラスは繁殖期で、卵やヒナを守るため、無用心に近づいてくる人への攻撃が増すことから、子供たちに注意を促すように指示された。かつて都内で、カラスを近くで目にしたことがあるけれど、そうだよな、あの鋭いクチバシで攻撃されたら、たまったものではないよな、と妙にその注意勧告に納得した。とともに、ある友人のことも思い出していた。


※              ※


 件のバーで、彼はいつも独りだった。もともと一人で来る客がほとんどだったバーで、彼の独りの深さは際立っていた。
 知り合いになった頃、彼は印刷工をしていた。お母さんと二人の渋谷暮らし。マスターの中学校の一年後輩で、店をオープンした時の一番最初のお客。それを語るときのマスターの何とも言えない表情が、いつもみんなの笑いを誘っていた。
 話をするのは嫌いでなはい。けど、誰とでも打ち解けて話せるタイプじゃあない。ましてや知らないお客に自分から話しかけることなど、決してない。いつも誰かから話題を振られて、初めて会話に参加する。誰かと書いたけど、僕が居合わせたときは、その役は、大概僕だった。
 何度も書いてきたけれど、そのバーでの付き合い方は、自分のことしか話さない奴や場が読めない奴とは、基本関わらない。それは、常連・一見でも同じこと。そういう意味で、彼は、癖はあるけれど、付き合いに足る人物だった。
 直接本人の口から聞いたことはないけれど、人の噂では、複雑な生い立ちだったらしく、それが影響しているのか、シニカルで独特の見方・行動をするタイプだった。でも、決して冷ややかというのでない。じんわりと人の温かさを感じさせる、また、それを求めるタイプだった。
 例えば、高田馬場に用事があったときに、交通費を節約するために渋谷から歩いて行った。さらに時間と体力に余裕があったので、その用件をすませたあとに、上野まで進出したとか。でも、途中からはシンドくなって、上野からはさすがに地下鉄で帰ってきたことを、独特の間合いと口調で話してくれたことがある。その意表を突く計画性のなさに、話し方が相まって、その場に居合わせた酔っ払いたちは爆笑した。
 そんな彼のエピソードの一つに、渋谷のカラス事件がある。
 ある休日。朝早くに目が覚めた彼は、やることがないので散歩に出た。マンションから表通りに通じる路地にさしかかった時、その途上に一羽のカラスがいた。彼は、本能的に危険を察知し、できるだけ刺激しないように身構え、目を合わさないようにして、その側を通り過ぎた。と、その時、後ろから、カラスに頭を突つかれた――。
 そのときの状況を真顔で詳しく語る彼。「いやー、北野氏(きたのうじ)。カラスは、賢いけれど、あんなタチの悪いヤツは、いませんよ」と訴える彼に、みんなは腹を抱えて笑った。いつも僕を、「きたのうじ」と読んでいた彼のあの時の表情が、いまでもまざまざと蘇る。そんな他愛のない話で盛り上がった頃があった。
 時代は、バブルが終わり、「リストラ」という言葉が市民権を持ち始めた頃。彼の会社も、事業縮小の憂き目に遭い、渋谷の一等地にあった場所から、郊外への移転が決まった。それに伴い、彼は仕事を辞めた。それからフリーターとして、彼はお母さんと二人暮らしを始めた。その後、定職を探してはみるものの、不況のあおりを受け、なかなか思うような仕事が見つからない。その場しのぎのアルバイトをこなしていた。
 彼のお母さんは、腕のいいマッサージ師だったらしく、固定客を持っていた。「お袋さま、さまですよ」と、あるとき、冗談とも本気ともつかない口調で、自嘲気味に暮らしぶりを話すことがあった。
 僕が東京を離れ、10年近く経った。その間、バーのかつてのメンバーたちもすっかり歳を取り、往年のようにバーに入り浸ることもなくなった。僕も東京出張の際、そのうちの誰かとたまに会うぐらい。
 去年の暮れ、メンバーの一人と久しぶりに会った。近況を含め、よもやま話が一区切りついた後、彼が、こう切り出した。
「北野さん、――さんのこと、知ってる?」
「まだ、お母さんと二人で生活してるの?」
「いや、マスターから聞いたんだけど、亡くなったんだって」
「えっ。なんで。どうしたの?」
「いやぁ、お母さんの認知症が進んで、その介護が大変だったらしくて。それで……」
「そんな――」
「マスターも、亡くなったのを知ったのは、随分経ってからだったんだって。――さんと同じマンションの住人の人から聞いたらしくて。もうお葬式も終わってて。僕も、ついこの前、そのことを聞いたんだけど」
 それからの酒の味は、何もしなかった。


※              ※


 実を言うと、彼のことを書こうかどうか迷っていた。それには、彼の亡くなり方も理由のひとつにある。このまま触れないことも、供養の方法かもしれないと考えたりもした。
 先日、息子と音楽の話をした。お父さんの好きな音楽は、何? という息子に、「ザ・バンド」というグループの音楽が好きかな、と答えた。その延長線で、結婚祝いに彼らのラストライブを収録したDVD『ラストワルツ』を仲間たちからもらったことを思い出した。
 これがお父さんの好きな音楽だよ、と、DVDのパッケージを開けた。と、そこには、仲間たちからのお祝いのメッセージが挟み込まれていた。その一番上に、他界した彼の自筆のメッセージと名前。
 そうだよね、――さん。僕は、忘れないよ。あなたが、大切なメンバーの一員だったことを。きっとカラスが気まぐれに、途方にくれたあなたを咥えて、向こう側に連れて行ってしまったんだ。その軌跡は、黒い糸を描く。カラスは、こちらと向こうをつなぐ一本の黒い糸のメッセンジャーなんだよね。いつだって、念いは、その糸を通じて届くはずさ。そう胸の中で呟きながら、僕はDVDの再生ボタンを押した。