編集人:新井高子Webエッセイ


9月のエッセイ


  • それは、手の味 ――粉のお話(26)

新井高子

 この夏の初め、あるパン屋さんが店を閉じました。40年続いた「野田製パン」さんです。わたしは、ここの「おぐら」、粒あんのアンパンが大好物で。


 やなせたかしのアンパンマンもパンが顔になってますけど、表面というより、そのお顔の焼けぐあいが天下一品。頬ばると、その皮一枚が、真ん中に散らばった芥子の実とともに香ばしい。
 そして、まるでお酒の麹のような、ふくよかな香りもしてきます。たぶん、小麦粉は外国産のカメリヤでしょう。それは、日本のパン屋さんでとてもよく使われている、いわば、ふつうの粉。だけれど、その控えめな主張が、パンの発酵の風味をじつによく引き立てています。軽やかな粒あんも、それに尽くしている。


野田製パンの「おぐら」

ふっくら、そして、ハリッ


 日本のパン屋さんが培ってきた、清らかな心意気が、凝縮されているような気がしていました。
 アンパンはこの島国の発明ですが、野田製パンのは、質を高めるにあたって、十勝産小豆とかフランス産小麦とか、つまり、ブランドや産地にぜんぜん頓着しない。ごくごくありふれた、手ごろな値段の材料だけ。「おぐら」は一個、110円でしたよ。
 だけれど、そこから、じつに微妙な風合いを引き出して、逸品を作ってしまう。あんこと小麦粉に謙虚なバランスをとらせつつ、発酵の過程で、よく捏ねたパン生地から、まろやかに濃やかに酵母の香りを立ち上げる。そして、中身はふっくら、皮はハリッと焼き上げる。
 「パリッ」よりも、ずっとずっと繊細な皮膜なので、「ハリッ」がいいと思うのです。

 こういうものこそ、名人芸、まさしく「手の味」でありましょう。材料、つまり物の味というよりも、手指の動きや心配りが重なることで生まれる味。いわば、パンが孕んだ空気の美味しさ、その呼吸の美味しさです。庶民の神髄でもありましょう。
 ご店主は、かって木村屋で修業したそうです。マスプロ化や企画化がなされる以前、職人さんたち一人一人が、知恵と腕をふるった時代の味合いが、この小さなお店に引き継がれたのかもしれません。もちろん、独自の工夫とともに。


あんぱん(こしあん)は、桜の塩漬けとともに


 扉のない、開かれたお店のたたずまいも、むしろ奥ゆかしい。
 まずトレーとパン挟みをとって、好きなものを勝手に選ぶんじゃなく、和菓子屋さんのような店構え。正面に小さなガラスケースがあって、三段の棚にいろんなのが並んでる。食パン、あんぱん、おぐらぱん、クリームぱん、レーズンぱん、チーズぱん、バターぱん、三色ぱん…。いま、しぜんに、平仮名で書いてしまったけど、たしかに、ここのは「パン」じゃなくて、「ぱん」だったよ。そのぐらい、味も店構えも、土地にこなれていました。
 そして、ケースの向こうに、にこにこ、白い作業衣を着た丸顔のおばちゃんがいる。姿が見えないときは、「すいませーん」と呼ぶと、ガラス障子を開けて、おばちゃんか、おじちゃん(ご店主)がひょっこり出てくる。「おぐら二つに、レーズン一つ」と注文すると、「あいヨ。おぐら二つに、レーズン一つね」と相づち。


レーズンぱんも、よくいただきましたよ

大きな干しぶどうが、たっぷり


 ぱんをとってもらいながら、おばちゃんと世間話をしました。お二人とも、いま70歳代だろうと思いますが、若い時分は、長崎カステラやシベリアも作っていたそうです。クリスマスには徹夜でケーキも焼いたとか。「ぱんが可愛くってさあ」とニヤリ、目を輝かせながら、潰さぬよう大事に、白い紙袋に入れてくれました。


 一つのお店に一つの味。なんとかけがえのないものか…。それを切実に教えてくれる「野田製パン」さん。