編集人:新井高子Webエッセイ


11月のエッセイ


  • 〝月〟の肌理

北野健治

 以前にも触れたことがあるが、この島は、〝秋〟という感覚に乏しい。それには、植生もあって〝紅葉〟という風物詩に恵まれていない要因が大きい。とはいえ、季節を感じるものがないと言えば嘘になる。
 その一つが、〝月〟。空を遮るものがない島にあって、今年最後のスーパームーンの9月の〝月〟は、冴え冴えとしてまさに秋の風情だった。
 10月に二つの台風がこの島を通り過ぎてからというものの、朝夕の冷え込みも日ごとに厳しさを増す。それに合わせるかのように、〝月〟の美しさも、その輪郭を際立たせていく。
 自宅の寝室の窓が東向き。ということもあって、月齢と日の入りの時間がうまく重なると、〝月〟の姿が寝ながらに愛でる。9月のスーパームーンのときが、ちょうどそう。幼稚園の年少組の娘が、布団に潜っていた僕に、一所懸命指さしながら教えてくれた。身体に染み込むような〝月〟の光を浴びながら、友達から聞いた話を思い出した。


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 僕の友達――仮に「A」としておこう――が、彼女と知り合ったのは、得意先との親睦会でのこと。若手中心の、いわゆる合コンで初めて顔を合わせた。たわいない会話で盛り上がった会は、二次会もなくお開きになった。三々五々に会場を後にしていく参加者たち。そのときAの目にとまった人影は、とても寂しげな女性の後ろ姿――それが、ずっと彼の心に引っかかっていた。
 ある日、その日最後の得意先回りで、その会社に立ち寄った。勤務時間も過ぎたので、直帰の連絡を入れ、得意先を出た。ところに、偶然、私服姿に着替えた彼女と出会った。最寄りの駅まで一緒に歩いて帰っていく。その途中、夕食の話になり、気づくとその日を共にしていた。
 Aは、ハンサムではなく、俗に言うモテるタイプというのではない。が、妙に人懐っこい。人の話を聞くことに長けているヤツ。そんなところもあって、ガールフレンドが切れるというようなことは、あまりなかった。
 彼女と出会った頃、Aは、前の彼女と別れたところだった。〝付き合う〟という感覚でもなく、なんとなく彼女と逢瀬を繰り返すようになって数ヵ月が経った。季節も夏が過ぎ、秋を迎えた。初めて彼女のアパートに立ち寄った日。その日は、月が綺麗な夜だった――。
 アパートは、大通りから少し入った、それでも夜遅くまで人通りの絶えない道沿いに建っていた。ベッドから身を起こしたAは、途切れない人の気配に促されるように、窓際に立った。ふと見上げると皓々とした月が目の前にあった。
「〝肌が合う〟。そう感じるの。あなたとは――」
 背中越しに、彼女の声が響いた。
 〝肌〟という言葉を耳にした瞬間、Aに悪寒が走った。
「〝肌〟って?」
「うまく説明できないけど。あなたと出会って、初めてそういうことを実感したの」
「……」
 そのときAは、親睦コンパが散会したときに目にした、寂しげな後ろ姿が彼女だったことを諒解した。しばらく彼女の部屋にいたAは、理由をつけてアパートを出た。
 その後も数度、彼女とは会った。その度に、「肌」のことが頭から離れなかった。それまでは気にしなかった「肌」がまとわりつくような恐怖。次第に間遠になり、いつしか会わないようになっていた。
 と、Aは言った。「結局、俺のズルい話なんだけど」とも。


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 〝lunatic〟という単語がある。ラテン語の〝月〟=〝luna〟を語源にした「常軌を逸した」という意味の。月の光は、人を狂わせる何かがある。Aの話を聞いて、僕はそう思った。
 秋の透き通るような月の表。それを眺めながら、僕は〝月〟の肌理が、どんな肌触りかを想像していた。

寝室から皓皓とする月を望む