編集人:新井高子Webエッセイ


7月のエッセイ


  • 霧を纏う

北野健治

 今年の梅雨。鹿児島では、いつになく雨が降る。6月は、平年の降水量のほぼ3倍も降っていると気象庁の発表があったくらい。
 島での梅雨の時期の風物の1つは、「霧」。それも、明け方と夕暮れ時に発生することが多い。そのため島の中央部の山間部に敷設された空港は、よく霧に包まれる。ので、しばしば欠航する。よくできたもので、この時季の海は比較的凪いでいるので、島外の移動は、船の方が安定している。
 島に来て、「霧」を体験して分かったことがある。それは、「霧」がまるで生き物のようだということ。先ほどまでは見えなかった「霧」が、いつの間にか周囲をあっという間に覆い隠してしまう。それも一様の厚さではなく、濃淡をもって。また、時には、塊として現れ、通り過ぎていく。
 だから、こちら来て、初めてフォグランプの有効さを体験した。今では、当たり前に使っているぐらい。霧の中、運転していると、前方から意表をついて二つの光源が現れる。周囲の風景も、また然り。全く白いベールに包まれているかと思うと、霧の流れの関係で、突然、一部の風景が浮かび上がってくる。まるで往年の出来事が、脳裏に去来する記憶のように。


※              ※


 彼女は、僕が勤めていた出版社の親会社の社員だった。企画課に所属していたため、しばしば編集内容やグループ会社のイベントの会議等で、顔を合わせるようになった。親しくなるにつれ、互いのことを話すようになる。その中で、遠い親戚が知り合いだということもわかった。
 また彼女が、以前デザイン会社に勤務していたこと。僕は、印刷会社の企画セクションに勤めていたこと。そのことで興味がリンクし、親しみを増していった。彼女が20歳近く年上だったこともあり、甥っ子のように可愛がってもらった。まぁ、親しくなるにつれ、彼女の愚痴を聞くことも多くなったけれど。
 彼女が、かつて勤めていたのは、団塊の世代ぐらいのデザインやPRに興味がある人たちには、ちょっと知られた「日本デザインセンター」。デザイン業界の嚆矢とも言える会社。それも、往年の伝説的なデザイナーたちが在籍していた当時の。
 彼女は、そこでマネジメント的な仕事をしていたらしい。だから、そこを退社し、知り合った会社に在籍していた当時でも、著名なデザイナーが話題に上ることが、しばしばあった。例えば、亀倉雄策、田中一光、永井一正氏らの名前が、会話の端々に登場した。それも自慢話としてではなく、ごく普通の話題として。僕にとっては、キラ星のような雲の上の憧れの人たちだったけれど。
 その頃、彼女は、荻窪に平屋の一軒家を借りて、独り暮らしをしていた。僕は、そこに3度泊めてもらった。甥っ子のような存在だし、彼女は、生来潔癖症だったので、いわゆる男女の仲という感じは全くなく、一夜を3度過ごした。今から考えると不思議だけど、居間兼ベッドルームの部屋で、彼女のベッドの脇に布団を敷き、喋り疲れて眠るまで過ごした。違和感なく、当たり前のこととして。
 その部屋には、テンペラ画のイコンや加山又造のデッサンの小品が、さりげなく掛けられていた。それからも伺えるように、彼女は、独自の美意識の持ち主だった。それは、空間だけでなく、生き様にも反映されていた。だから、彼女の評価は、好悪のどちらかに明快に分かれていた。
 表面的には大人の振る舞いをする彼女だけれど、時として、気性の激しさが、突然――そう霧の中から風景が現れるように――覗く時があった。そのため、組織の中では、年齢的なことも加わって、次第に孤立していった。そして、何がきっかけだったか忘れたけれど、退社した。
 しばらく休養する、と彼女は言った。時々、気になって連絡を入れた。あるとき、私、最近、物忘れがひどいの、とぼやき始めた。しばらくして電話する。いつもより長めの呼び出し音の後、彼女が出る。あれから病院に行ってみた。検査をしたら、脳が萎縮するような病気の可能性があるという。早くに両親を亡くした彼女は、残された身内の弟と相談して、施設に入る方向で考えている、と受話器の向こうで語った。
 あまりの展開に、僕は言葉を失った。彼女は、そんな僕を知ってか知らずか、淡々と極めて事務的に、今後の生活のことを話し続けた――。


※              ※


 彼女の弟さんからハガキが届いた。そこには、彼女の転居先が記されていた。「どうしたものか」。僕は思案に暮れた。数ヵ月後、一つのけじめとして、僕は彼女の新住所を訪ねた。
 かつてと変わらない彼女が、そこにいた。「ここには、変わった人が多くて。でも、独りでいるよりは、安心」。会話をしていて、彼女のどこが悪いのか、僕には見当もつかなかった。
 とりとめのない話をした。そして、また、と僕は、そこを後にした。それっきり、僕は、そこを訪れていない。
 きっと彼女は、まだそこにいるのだと思う。なぜなら、僕は、毎年、年賀状を送っているから。返事もだけれど、不在者通知も届かない。
 日々の生活は、単純だ。でも、明晰なようで、実は混沌としていて、「霧」と似ているのかも。周りのことは、よく見えている。なのに、あるときフッと全く別のものが顔を出す。彼女の存在が、そう。
 梅雨が明け、夏の青空が間もなく訪れる。彼女のことを思い出すたび、荻窪で仰ぎ見た、どこまでも遠い青空を、なぜか思い出す自分がいる。

霧に煙る種子島空港