編集人:新井高子Webエッセイ


9月のエッセイ


  • 「Golden Boat 2015」参加報告

高野吾朗

 今年8月の最終週に、スロヴェニアという国を生まれて初めて訪れた。いや、より正確には「招待して頂いた」と書くべきだろう。毎夏、この国で開催されている国際的な「詩の共同翻訳」ワークショップ、その名も「Golden Boat」というイベントの第13回目にご招待いただき、晴れて一週間の滞在となったのである。宿泊費と朝昼晩の食事とスロヴェニア国内移動費についてはすべて現地主催者側の負担であり、わたし個人が支払うべきは日本~スロヴェニア間の往復フライト運賃のみ・・・という、とてもありがたいお話であった。「僕なんかで本当にいいのかしら?」と思いつつ、わたしは迷わず参加を決めた。

 スロヴェニア国内ならびに世界各地から招待された様々な詩人たちが、連日のワークショップを通じて、互いの詩を別の言語にどんどん翻訳しあう・・・そして最終的には、参加者たち自身の手により、その成果の一部が「公開朗読会」の形で一般向けに披露される・・・というのが、このプロジェクトの主な流れであった。それにくわえて、いったんワークショップが終了したら、残されたすべての翻訳結果をオリジナルの作品たちと合体させ、一つの大きな有機体としてオンライン上などでまるごと世界へ向けて発表する・・・という遠大な計画さえあるらしかった。今年の参加者は、わたしを含めて総勢12名。そのうち、スロヴェニア国外からの参加者は、日本(わたし1名)・米国(1名)・ポーランド(2名)・ブルガリア(1名)・フィンランド(1名)であった。
 ・・・と、ここまで読まれた方々のなかには、「ちょっと待って、それって、新井高子さんがそのむかし参加したワークショップと、全く同じものなんじゃないの?」とおっしゃる慧眼の持ち主がいらっしゃるはずである。まさにそのとおり。このワークショップについては、新井さんご自身がこのWEBエッセイのコーナーの中ですでにしっかりと説明していらっしゃる(2012年10月)。そちらをまずお読み頂きさえすれば、このイベントのリーダー役たるスロヴェニアの詩人、イズトック・オソイニック氏の人となりもよくわかってもらえるだろうし、ワークショップが行われた地・シュコチアン村の様子も、かなりくっきりと想像して頂けることだろう。このワークショップに参加した日本人「第一号」こそが、何を隠そう、新井さんなのであった。その後、彼女から推薦された詩人・長谷部裕嗣さんが「第二号」として参加したのが、昨年度である。その長谷部さんから推薦されて今年参加したのが、このわたし(つまり「第三号」)、というわけである。


シュコチアン村の風景
〜赤い屋根の建物がわたしが泊まった宿、そしてその向こうの教会が「予行演習」の場所

ワークショップ仲間と近くのレカ川へ
〜水はとってもきれいで、 おまけにけっこう冷たかった!


 シュコチアン村のたたずまいにしろ、滞在中の日々の食事や(翻訳に関する)ディスカッションの雰囲気にしろ、われらがリーダーたるイズトックの偉大さ(わたしは彼を心の底から尊敬する・・・文学・政治・宗教・哲学に関する彼との様々なディスカッションは、すべて一様に面白かった)にしろ、頻繁に開かれた近隣の大自然への遠足の様子(シュコチアンが誇る世界遺産の鍾乳洞内には、もちろんみんなで楽しく行かせてもらった・・・近くの森を清らかに流れるレカ川での遊泳も、参加者みんなで存分に楽しんだ)にしろ、すでに新井さんがご自分のエッセイの中でほとんどしっかり網羅して下さっているようなので、ここではあえて割愛させて頂くことにする(新井さんが参加した三年前と、わたしが参加した今年との間で、大きく変わったことといえば、もしかすると、メンバー構成くらいなのかもしれない・・・あまりに筋の通ったこのワークショップの不変ぶりにも、なぜかあらためて敬意の念が湧いてくる)。
 新井さんの参加時とまったく同様に、わたしたち今年のメンバーも、ワークショップ期間中に翻訳朗読会を二回挙行した。一回目は、シュコチアン村の丘の上に立つ教会の中で、一般公開の形で行われた。とはいえ、これはあくまでも「予行演習」。「本番」はその翌日、首都リュブリャナの「文学ハウス」ホールにて、同じく一般公開の形で行われた。どちらの発表会場も、新井さんの参加時とまったく一緒である。


記念すべき第一回目の全体ディスカッション

村の教会での「予行演習」の様子

首都リュブリャナでの「本番」朗読会の様子


 ワークショップの期間中、わたしが全力で翻訳したのは二人の詩人の作品群であった。一人目はインド系の米国詩人、アヌパマ・アマラン(ペンネームはA・アヌパマ、ワークショップ中の呼び名は「アヌー」)。とても静かな人で、いつも皆の話にじっと聞き入ってばかりの自称「シャイ」な女性であったが、科学(とりわけ生物学と鉱物学)と文学の境界を縫うかのごとく生み出される彼女の作品群の独特な形而上学性には、詩人として学ぶべきところがたくさんあった。二重の意味を示唆する英単語があちこちに巧みに使用されていたりしたこともあいまって、アヌーの詩的世界を的確に日本語に置き換えていく作業はかなり難航したが、彼女との長時間にわたるディスカッションの結果、なんとかその全9作品をすべて無事に翻訳することができた。その達成感たるや、まさにひとしおであった。ここにそのひとつを紹介したいと思う(彼女の掲載許可はすでに取得済みである・・・アヌー、どうもありがとう!)。この翻訳、「予行演習」においても「本番」においても、主人公の(おそらくは)女性になったつもりで、訳者のわたし自身が魂込めて朗読させてもらった。




Birthday gifts  A. Anupama

Silk and opals
pressed in a book called my childhood memories,
which when opened crackles alarmingly,
as though the spine may break and pages
fall like this, silk and opals and pink,
patchwork nightdress I wore to a rag,
pilled and threadbare at the elbows, because
even then I propped my chin in my hand while
daydreaming across the silk and opals’ unruly greens,
blues, and pinks twinkling in a universal triple-color
rustling. I never imagined the color of milk,
because it has always been real.




誕生日の贈り物  A・アヌパマ

「わが子供時代の想い出」と題された本に はさんであった
絹の布 そして オパール
開いてみると 本はぱりぱりと不安気な音を立てる
まるで背表紙が壊れて 今にもページが全て抜け落ちるかのよう
もしもそうなれば 絹もオパールも下に落ち
おまけにわたしが昔よく着ていた あのピンクのパッチワークのパジャマさえ
落ちて ぼろ切れとなるのだろう
ひじの辺りが擦り切れて すっかり剥げ落ちているのは
あの頃からよくひじをつき あごを支えがちだったせいで
そうしながら よく夢想ばかりしていたものだ
絹とオパールが不規則に生み出す 緑と青とピンクの三色が
きらめきながらさらさらと普遍の音を立てる その上を横切りながら
けれども 一度たりともミルクの色を想うことはなかった なぜなら
その色はいつも あまりに現実的だったから




 二人目はブルガリアの若き詩人、イヴァン・ランジェブ。英語がすばらしく堪能で、哲学と政治思想と古典文学に非常に造詣が深い彼の詩には、ニーチェやT. S. エリオット等、様々な他作家および他作品との微妙な相関関係が常にさりげなく隠されており、その世界観は一見単純そうでいて、なかなかに深遠であった。シリアからの難民一斉流入により、道路が一時封鎖されてしまったせいで、ブルガリアからバスでほぼ24時間もかけてようやくスロヴェニアまでたどり着いた・・・という男であったが、ディスカッションの際にはあくまでも冷静かつシャープかつ能弁、しかしいったんディナーの後となると、今度はギター弾きつつ渋くブルースを何曲も唄ってのける・・・といった具合で、まさに「才気煥発な芸術家」を絵に描いたような人物であった。わたしが「生粋のブルガリア人」と出会ったのは実はこれが生まれて初めてだったわけだが、もしもイヴァンの母国が彼のような才能ばかりの国なのだとしたら、自らの芸術力をあらたに鍛え直すべく、わたしが旅立つべき次なる国は、間違いなくブルガリアということになるであろう。わたしが日本語に翻訳した彼の全5作品中、ここに掲載してみたいのは、「眼鏡」と題された以下の詩である(イヴァン、すぐに掲載を許可してくれてありがとう!)この詩の日本語訳も、「予行演習」にしろ「本番」にしろ、わたし自身が懸命に朗読させてもらった。まるで自分がこの「眼鏡」それ自体に変身したかのような、そんなつもりで(ちなみに、わたしはブルガリア語がまったくわからないので、日本語訳の際は、イヴァンが自ら持参してくれた自作詩の「英語訳」を十二分に活用させてもらった。翻訳に関する彼との長時間にわたるディスカッションも、今となってはまことに懐かしい思い出である)。




bОчила  Ivan Landzhev

Не слизам от погледа му.
Без мен не вижда по-далече от носа си.
Обсъжда ме в множествено число, а съм едно,
едно нещо.

Очите му зад мен пропадат в по-дълбоки ями,
докато аз търся гледка, достойна за ленивата възхита
на веждите.

Понякога върху мен падат мигли
и си пожелава нещо.
Понякога остават следи от пръсти:
мислил е какво да си пожелае.

Правя така, че да му вярват, когато говори.

Чупил ме е три пъти
и не научи нищо.

Нощем ме слага в ковчег
и не подозира за това щастие:

да загиваш по тъмно, прегънат
в прегръдка
с меката синя кърпа.

А сутрин да възкръсваш,
за да му покажеш пак
деня.




眼鏡  イヴァン・ランジェブ

彼の視線から わたしは逃げたりなどしない
わたしがいなければ 彼に見えるのはもはや自分の鼻くらいなのだ
彼はわたしの存在を複数だと考えている しかしわたしは
単数なのだ たったひとつの存在なのだ

わたしの後ろで 彼の眼が深い穴へと沈み込んでいく
一方 わたしはといえば 眉をしどけなく上げるだけの価値がありそうな風景を
なおも探し続けている

まつ毛がわたしの頭上に落ちてきたかと思うと
彼の口から 願い事が零れ落ちたりすることもある
いったい何を願えばいいのかと 彼が思案に暮れている間に
指紋だけが 残されたりすることもたまにある

彼が話をする時は その言葉が人々に信用してもらえるよう努力する

これまでにわたしは 彼に三度壊された
しかしそこから 彼が何かを学んだことなど一度もない

夜になると 彼はわたしを棺の中にしまい込む
彼にはさっぱり理解できないのだ

闇の中で 柔らかな青い布に包まれながら死んでいく
この喜びが
朝の到来とともに復活する
この喜びが
そしてわたしは 再び彼に指し示すのだ
新たな一日のはじまりを



 なお、わたしが日本から持参した自作の英語詩(わたしは普段、日本語ではなく英語で詩作する)は、別の参加者たちの手により、ワークショップ期間中にスロヴェニア語・ポーランド語・ブルガリア語へとそれぞれ翻訳されていった(もちろん、ブルガリア語に訳してくれたのはイヴァンである)。それら三種類の翻訳が、「本番」の中で次々と朗読されていくのをじっと見つめながら、詩が国境を軽々と越えていくなんともいえない神秘性に、今さらながらしばし酔いしれた。日本とスロヴェニアとの間にかくも幸運な形で生まれたこの詩人同士の強い絆が、今後も絶えることなく続いていくことを強く願うばかりである。



わたしの自作英語詩が、ポーランド語に訳されてどんどん朗読されていく…

ワークショップの仲間たち〜左から2番目がイヴァン、左から4番目がイズトック、そしていちばん右の女性がアヌー

食事はきまってメンバーたちと一緒に
〜料理は常に最高、トークは常に大盛り上がり!