編集人:新井高子Webエッセイ


12月のエッセイ

  • 「ノー・フォト」~イランの詩の物語(1)~

前田君江

 『ミて』誌上で翻訳を連載しているアフマド・シャームルー(2000年没)は、イランで初めてノーベル文学賞候補に挙げられた詩人である。しかし、それ以上に注目すべきは、彼が当時の(そして現在でも)イランで唯一の「プロの」詩人であったということである。詩人が詩作と文芸活動だけで食べていけるというのは、古今東西を見渡しても、(宮廷詩人などの例を除けば)尋常なことではない。
 イランでは1960年代以降「詩の夕べ」と呼ばれる詩の朗唱会が盛んに行われたが、特にシャームルーの「詩の夕べ」は人気を博し、残された記録テープからは、ロックコンサートもかくやと思われる聴衆の熱狂が伝わってくる。刑死・拷問死した若き政治犯たちに捧げた数々の追悼歌は、激しさを増す反体制運動の中で、人々の不満と悲痛な叫びを代弁するものとなっていった。
 1980年代には、数十万に及ぶ亡命イラン人が暮らす北欧やアメリカの移民コミュニティーに招かれ、詩の朗唱や講演をして回ったが、カリフォルニアで行われた「詩の夕べ」には、3000人の聴衆が集まったという。イラン国内でもシャームルーは、街を歩けば、若者たちから投げキッスが飛んできたといった逸話に事欠かない。

 このスター詩人シャームルーを支えたのが、彼の妻アーイダーであった。夫を「支えた」という言い方は正しくないかもしれない。アーイダーこそ、シャームルー詩の最大のテーマのひとつであり、不変のモチーフであり、尽きることないイマージュの源泉そのものだったのだから。

いくつもの永遠の太陽のなかで
お前の美しさは
       錨—
       * *
アーイダー 永遠の出立を挫いたもの。
              「夜想曲」

お前の頬は
     斜めのふたつの畝で
お前の誇りを導いている
           そして私の運命を
       * *
お前の胸には 二羽の心躍る鳥がさえずる。
夏は いずれの方より訪れるのだろう
渇きが
水を より麗しきものとするために。
       * *
夜明けは お前の手で目覚めるだろう。
          「鏡の中のアーイダー」

 シャームルー読者にとって、常に詩人の傍らに寄り添うアーイダーは、彼の美貌の妻である以上に、シャームルー詩に住まう女神の現身(うつしみ)にほかならなかった。その姿は、シャームルーとともに多くの写真に残され、文芸誌上を彩り、彼の詩的イマージュと折り重なりながら人々の記憶に焼き付けられている。
 初対面のシャームルー・ファンから、「ねえ、アーイダー!」と突然親しげに話しかけられるのだと、彼女は楽しそうに語っていたが、こうした日常が「まるでガラスの家に住んでいるよう」な苦労を伴うものであったことも、想像に難くない。何より彼女は、自分が無数の詩的イマージュに支えられた虚像の「アーイダー」として、多くの人々の目に映っていることをよく理解していた。

 私がテヘラン郊外のシャームルー宅を二度目に訪れた2005年は、詩人の死からちょうど5年後の夏だった。空まで届きそうなほどに大きな街路樹が並ぶ、広々とした高級住宅街の555番地。美しい庭と、広いリビング、それに続く小さな作業部屋、そして、シャームルー記念館としていずれ公開するつもりだという、ガラスの壁で仕切られた仕事部屋。「私たちの一番幸せだった時期は、もう過ぎ去ったわ」と語る彼女の表情は、まだどこかとげとげしく痛々しかった。
 詩人と彼女が過ごした部屋の窓際には、無数の赤いロウソクが燃えた痕があった。死後5度目となる詩人の誕生日を、訪れた人々とともに祝った跡だった。ロウの赤いもえさしは、その部屋に亡霊のようにして残る、詩人の影を感じさせた。いや、より正確に言うならば、彼女が一心に詩人の影を感じようとし、また実際に感じていることを、私たちに痛いほど感じさせるのだった。
 シャームルーの死後、この家には、亡き詩人を慕う若者たちが数多く訪れていた。シャームルーの詩に、それぞれ深い愛情と「勝手な」思い入れを抱いてこの家を訪れる多くの人々の想いを、彼女は受け入れ、また裏切らぬよう細心の注意を払っているかのように見えた。

 ひとしきり亡き詩人の作品や彼女の身辺について言葉を交わしたのち、私たちは名残惜しさを感じながらもいとまを告げ、イランを旅するときの常として記念写真を撮りませんかと言った。すると、アーイダーは、それまでの柔和な表情を急にこわばらせて言った。
「この家で何をしてもいいわ。でも、一緒に写真に写ることだけはできない。」

 別れを告げた後、イランの6月の太陽を受けて光る夏草の庭を歩きながら、私はアーイダーが言った「Aks-bardari na-dare/ No Photo」の意味を考えていた。彼女は今の自分の写真が公になることで、かつて多くの人が目にした彼女のイメージが損なわれることを避けているのだろうか、あるいは、詩人を欠いた自分だけの姿を晒すことを自身に禁じているのだろうか。彼女の真意は、私には分からない。ただ、彼女が長い間、詩の中の「アーイダー」像を生きることを余儀なくされ、そして、これからも「アーイダー」を生き続けようとしていることを想った。
 庭木の下に無造作に置かれた、詩人の名と生没年のみを刻んだ石版が、やはらかな木漏れ日を受けてきらめいていた。