編集人:新井高子Webエッセイ


12月のエッセイ

  • 海の女神、地上の女神――イランの詩の物語(3)

前田君江

初期詩集の女たちと地上の女神アーイダー

2009年12月のwebエッセイ「ノー・フォトー~イランの詩の物語(1)~」では、イランを代表する社会派詩人、抵抗の詩人として知られたアフマド・シャームルー(1925-2000年)の愛の詩について話した。それ以前、50年代末に出版された彼の初期詩集『新しき風』には、さまざまな女性イメージが現れる。夜霧に紛れて恋人のもとへと走り、明け方ベッドで崩れ落ちる情熱的な遊牧民の女。鏡の池に踊る「確信」という魚を両胸に抱き、夜更けに長く濡れた髪で語り手の元に現れる異形の女。朝顔の園で雨空を見あげながら、やがて、咲き乱れる朝顔と同化し、さらには、空の旅を経て来た雨そのものの擬人法として昇華する貴婦人。そして、海の女神「ロクサーナー」。

しかし、彼の詩に「アーイダー」が登場した途端、シャームルー詩の中の多様な女性像は、すべて彼女唯一人に収斂されてしまう。アーイダーは、62年に詩人と出会い、のち彼の妻となった女性である。詩集『鏡の中のアーイダー』(1964/5年)、『アイーダー:木と剣と記憶!』(1965/7年)からは、彼女の美貌、優美さ、精神の高潔さ、愛の深さへの賛美が溢れだす。

60~70年代、イランの現代詩が、文芸としても、また、政治活動の手段としても大きな力をもった時代に人気詩人に昇りつめたシャームルーの傍らには、常に美貌の妻アーイダーが寄り添い、文芸誌面を華やかに飾っていた。彼女は、シャームルー詩の最も重要な登場人物であり、詩人の文学活動を全面的にバックアップするマネージャーでもあった。シャームルー詩の読者にとって、アイーダーは、彼の詩の生きたミューズそのものであったろう。
 しかし、彼の詩に登場するアーイダーの像を眺めてみると、面白いことに気づく。確かに彼女は、地上の太陽として描かれている。彼女の肉体と精神、存在すべてに惜しみない賛辞が捧げられている。しかし、彼の詩のなかで、彼女が語ることはない。自分の言葉を発することはない。彼女の思考、彼女の感情、彼女の人生が描かれたことは一度としてないのである。

アーイダーは、詩人にとって、何よりもまず、彼の人生そのものに意味を与えてくれる存在だった。彼女への賛美を通して常に語られるのは、彼女と出会えたことの喜び、そして、彼女によって詩人の人生が受け入れられ、肯定されたことへの詩人自身の歓喜と安堵である。


お前の抱擁は
生きるための わずかな場所
死ぬための わずかな場所

* * *

お前が 鏡に姿を現すまで
私はそこに長い人生を見てきた
そして 湖ほどに 海ほどに 泣いた。

* * *

お前の存在は 天国となり
私に 地獄から抜け出す意味を与える。

「鏡の中のアーイダー」


海の女神ロクサーナー

初期詩集『新しき風』には、「ロクサーナー」というタイトルの長編詩が収められている。ロクサーナーという名の起源は、ギリシャ語であるらしい。現在のイランにもこの名はあるが、必ずしもポピュラーではないようだ。個性的な名を提示することにより、そのイメージの具現化を読者に委ねるというのは、シャームルーが多用する詩的技巧のひとつでもある。
 詩「ロクサーナー」において、ロクサーナーは海の女神として描かれている。もっともイスラームの伝統において、「女神」なるものは存在しない。(ただ、水の女神アナーヒターなどは、インド・イランの民俗的な信仰世界において広く親しまれている。)嵐の海に現れるこの詩の女神像が、「西洋的」であると評される所以である。しかし、語り手である主人公の男と、彼が追い求める「ロクサーナー」との間には、自己の消滅と恋人(神)との合一といった、イスラム神秘主義的な関係性も垣間見える。
 詩は、男の回想、そして、男とロクサーナーとの対話から成る。神話的・原初的生命エネルギー体とそれを追い求める語り手とのダイローグ(対話)――という表現形式は、フランス・ロマン主義の影響のもと、イラン現代詩の黎明期に好んで用いられたものだ。


海と愛と生命の精

シャームルーは、自身の詩の女性像について語り、女神ロクサーナーが、のちにアーイダーとして具現化したと語る。
 ロクサーナーとアーイダーは、ともに、語り手である主人公の精神と人生に支配的なまでの影響を及ぼす存在でありながら、詩の中での人物像は、おおよそ対照的である。
 以下、詩「ロクサーナー」を引用しながら、簡単に触れてみたい。


誰にも言わずにいておくれ どうして私が 愛されるかわりに 
口づけをうけるかわりに 苛まれることになったのか。

誰にも言わずにいておくれ いつか その日が来るまでは。
わが魂が 海と愛と生命の精――ロクサーナーのもとへ再び至るまでは。


詩は、語り手の男の昔語りに始まる。男はロクサーナーに嵐の海で出会い、その幻影を抱きながら、いつか再び彼女に相見えることだけを願いつつ、うらぶれた浜辺の小屋で地を這うようにして生きる。
 ロクサーナーがアーイダーと最も大きく異なるのは、この海の女神が、自身の言葉をもち、自ら語ることだ。ロクサーナーは彼女自身を次のように表現する。


私は この果てなき海 そのもの。
私は この嵐そのもの。狂騒そのもの。荒れ狂う海そのものだ。
私は 海と愛と生命の精・・・


男は、荒れ狂う海に漕ぎだすうちに心に「安らぎ」をおぼえる。そして、波の上にロクサーナーを見出し、彼女の名を叫ぶ。しかし、「穏やかに苦悩する」ロクサーナーが語るのは、男をかたくなに拒否する言葉ばかりである。


お前は、私と来ることはできない。できはしない。
お前は、今いる場所から踏み出すことはできないのだ。

――いや、できる

できるとも

ロクサーナー!

もしできたなら、おまえを伴ったであろう。
だが、そのとき、お前は雲となり果てる。

我らが相見えるとき、我らが心臓からは、海と空とを輝かせるほどの炎が噴き出すのだ。


原初的な生命エネルギー体として、その名を除けば、性別を越えた存在であるかに見えるロクサーナーが、一度だけ、女性性を色濃く帯びた言葉を放つ。


できはしない!
誰でも己が愛するものを縛っておくのだ
女はみな完璧な真珠を、己が宝石箱という牢獄に閉じ込めておくのだ。

人生の最後の証がお前から奪われぬうちは、海風に綱を解き放たれた小舟のごとく
私の心、私の愛、私の生命である海の上を、とどまることなく さまよいつづけるがいい。


男もまた、ロクサーナーと合一せんとしながら、海に身を投げ出すことができない。
男は自分が「ブッダが通った道を逆にたどり」「死から生へと逃げたのだ」と己を責める。

男に断固としたメッセージを突きつけながら、語り手が目にするロクサーナーの姿は、つねに霧の向こうにかすんでいる。彼女の苦悩の表情は描かれながら、彼女の姿は、ただ海上に浮かび上がる陽炎にも似ている。


霧と雲の薄い帳の下に 彼女は見えた。
物憂げな眼差しで 語りきれぬ悲しみをかみしめる。

霧に覆われた女。彼女の頬は、私の外套の赤いサテンに反射するカンテラの黄色に照らされ 暖かな色を帯びていた。
わたしは 小舟とカンテラと己が魂に映る 彼女の大きな影を感じた。


嵐が去ると、ロクサーナーは姿を消す。
男は、ロクサーナーへの想い叶わず、自ら海に身を投げることもできず、浜辺の小屋で狂人のごとく彼女の言葉をくりかえす。いつの日か、彼女へと至ることを夢みて。


いつの日か 草原を森を照らす太陽が この海の水すべてを干上がらせ、私を水のない ただのくぼ地に変えるだろう。おまえもまた地に座礁した小舟のごとく、甲斐なきものとなるだろう。そのときにこそ、おまえと私は 互いに近づき相親しむのだ。

我らはやがて、相見えるであろう。
私が干上がった海となり、お前が朽ちた小舟のごとく、浜に打ち上げられたときに。


ロクサーナーからアーイダーの像へ

支配的な言葉によって男を幻惑したロクサーナーという影は、やがてアーイダーとして読者の前に姿を現す。女神の支配的な言葉とあやふやな実体は、言葉をもつ代わりに確固たる肉体を備えた存在へと姿を変える。それは、彼女の生命と精神そのものであり、さらには、詩人の生命と人生の意義を肯定し体現する根源でもあった。
 愛する女性の実名を詩の中で明かすこと、彼女への愛を率直に表現すること。これらはいずれも、伝統的なイランの詩において、また、現代詩においてさえ、タブーとされてきたことであった。その男性的愛の表現が、ルイ・アラゴンやポール・エリュアール、さらには、パブロ・ネルーダといった同時代の世界の詩人たちの影響を直に受けたものであることは、詩人自身も語り、読者にも容易に感じ取れることである。それでも、シャームルーが語るアーイダー像は、イランの文化的背景のなかで描かれた女性像としては「革命的」とまで言われた。その情熱的な表現と世界については、また次の機会に。