編集人:新井高子Webエッセイ


9月のエッセイ

  • ベルサイユの飲み物 ――粉のお話(20)

新井高子

子どものころ、『ベルサイユのばら』の大ファンであったことは、前にも書きましたね(「ジゴクノカマップタ」――粉のお話(2))。
 池田理代子の漫画だけでなく、宝塚の演劇にもどっぷりハマっておりました。当時は、日曜早朝の8チャンネルで、舞台の録画放送があったのです。ふだんは朝寝坊ばかりで、しょっちゅう学校に遅刻していたのに、休みの日曜ばかり早起きが苦になりませんでした。群馬県で花組が『ベルばら』公演を打ったときには、母といっしょに馳せ参じました。安奈淳のオスカル、最高でありました! 脚本が掲載された雑誌を手に入れたわたしは、いったい何度、読んだでしょうか。来る日も、来る日もそればかり読んでいたのですから、10才の柔らかい頭に、セリフはみるみる染み込んで、いつしか戯曲全体を丸暗記しておりました。もちろん、劇中歌もぜんぶ歌えました(音痴ですから、本当の旋律から、ところどころ狂っていたでしょうが……)。
 いまや唐十郎フリークのわたしですが、芝居に対する基本姿勢は、小学三〜四年生の『ベルばら』体験が決定したようなものです。当時ほどの頭の柔らかさはありませんが、見せ場のセリフ、劇中歌のいくつかはやはり覚えてしまいます。そして、料理を作る時や散歩をしている時など、ひとりでに口ずさみ……。体ごと劇空間に入っていくのが戯曲を知る最もいい方法だと、小さい時のままやっています。観客の醍醐味とは、じつは、劇中の誰にでもなれることじゃないかな?

『ベルばら』に憧れていた当時、父におネダリして買ってもらったのが、写真のコーヒーカップです。「せとくめ」は、桐生で一番大きい茶碗屋さんで、何度も訪れ、買ってもらう当日は店先に一時間は粘りました。ようやく手に入れた代物。当時でも、4千円くらいしたような記憶があります。もっと優しげな花柄のカップを、父からはすすめられたのですが、ダンゼン、これでした、わたしは。濃厚な赤紫に、バリバリの金縁、鳥の首のようなハンドル、そして模様はドレスをまとった貴族の男女。『ベルばら』に対する、わたしの逆巻く情熱を受け止めてくれる品とは、これ以外になかったのです。

わたしのベルサイユ・カップ

手をとりあう貴族の男女

とはいうものの、わたしの生活は、ベルサイユの貴族と、まったく違っておりました。当然ですが……。いえ、古風という点では、ほとんど引けをとらない住まいでありました。なんせ、茅葺き屋根だったんですから!、自宅は。そのうえ、ノコギリ屋根の織物工場が隣接し、四六時中、機音も響き渡っておりました。工場の「おかみさん」である祖母は、きものがふだんの装いで、孫のわたしたちも冬場はいつも綿入れ半纏。
 が、が、しかし、頭の中は、「ベルサイユ宮殿」。茅葺き屋根の下、毛玉だらけの炬燵カバーをめくって太腿を突っ込んだわたしは、赤い半纏の袖先で、「ベルばら」カップをヒッシと握りしめていたわけです。マリー・アントワネットの十分の一ほどの睫毛の長さで……。アンバランスなぞ、もろともせず!

では、何を飲んでたか。
 オスカルとアンドレがワインを嗜むシーンなど劇中にありましたが、さすがにまだ未成年、というよりその半分です。コーヒーや紅茶は、何度か口にしたことがあったと思いますが、砂糖やクリープをたくさん入れても好きになれませんでした。
 で、幼いわたしにとって、最もハイセンスな飲み物とは……、「強い子のミロ」でありました。新発売されてまもなくの頃で、テレビでもさかんに宣伝していたのです。あの粉末飲料、茶色い麦芽飲料を、ポットのお湯に溶かし、ド派手なゴージャズ・カップで啜っておりました。十才の田舎ッ子の想像力の範囲では、これ以上ない、芳しきフランスの香りとして……。啜りながら、脚本を暗記しちまったのですから、ものすごい強精剤な気もいたします。

洗う時には、カップを壊さぬよう細心の注意をしておりました。中学くらいまで使っていましたが、高校生になると、さすがに自分のゴテゴテ趣味を冷笑できるくらいには、大人になりました。そして上京するときは、ちょっと後ろ髪を引かれつつも、下宿には持っていかなかったのです。
 その後、自宅の引っ越しなどがあり、気付いたときには、長年飾っていた居間の茶箪笥には、そのソーサーしかありませんでした……。「もしも、カップの方がどこか別の場所にあったら、おしえてください。もしもでいいんで」と義姉に言いのこしましたが、内心は、ほとんど諦めておりました。
 それが、この八月。お盆に桐生に帰省すると、「台所の茶箪笥の奥の、そのまた奥に、あのカップあったよ」と義姉。な、なんと、嬉しいこと(感謝です)!

ソーサーにも貴族

ありゃ、じつは日本製なんだ

「強い子」をたたえて

それでは、「ベルサイユのミロ」を飲まなくては!
 近所のスーパーで、久しぶりの、そのまた久しぶりの久しぶりに、強い子の麦芽飲料を買いました。昔は、ガラスの缶入りだった気がしますが、袋詰めの簡単な包装になっていました。このカップでいただくと、何だか、逆回しの浦島太郎になったようです。