編集人:新井高子Webエッセイ


5月のエッセイ

  • 亀につままれるの巻 —粉のお話(24)

新井高子

東京スカイツリーができて、はや2年。わたしの大好物、浅草・亀十のどら焼きについては、前にも書きましたが、おかげで滅法、買いにくくなってしまいました。わたしが浅草に行くのは、桐生への帰省で東武線に乗るときか、劇団唐ゼミや浅草公会堂で芝居を見るとき。つまり、時間の余裕はあまりないけど、駅のそばの亀十なら駆け込める…、そういう買い方だったのです。それがいまや、スカイツリーの影響なんでしょう、休日は長蛇の列。ひとむかし前の原宿のクレープ屋みたい。何十分もかかりそうで、ほとほと手が出ない。それで、例えば、平日の夕暮れ時に立ち寄り、しめしめ今日は並んでない…と思いきや、「どら焼きは完売しました」の張り紙。これでは、いつ、亀十さまが手に入るのか。

その日は、土曜日。お昼に浅草の豆腐料理店で会食がありました。行きがけに亀十の前を通ると、案の定、ものすごい列。でも、3時すぎに会は終わるから、今日こそがんばって並んでみようと胸に誓ったわたし。
 豆腐で膨らんだお腹をぷわぷわさせつつ、亀十に舞い戻ると、あれ、列がない。もしや…、そうです、またもや「完売しました」。でも、まだこんなに明るいじゃない? なんでおしまいなの? 光り輝くお天道さまのもと、店頭にしばし佇み、ほかのお菓子のパックをぼんやり眺めたり、訳もなく撫でたりするわたし。

地下鉄に潜っても気持ちは変わりませんでした。ボーゼンとムシャクシャが交じり合ったまま、途中、乗り換えを間違えたりなんだり。どら焼きひとつで、こんなに振り回されてる自分が情けない…。そのとき、パンを作るためのイーストが切れそうなのを思い出しました。わたしの愛用は、天然酵母のドライイーストなので、買える店が限られています。気分転換に、それが置かれている新宿のデパートに寄ってみよう、そう思い付きました。
 ただ、亀十を思うあまりのわたしの茫然自失は、それでも払拭できませんでした。うつらうつら、電車を降りました。乗り慣れない路線で来たから、デパートに近い出口がわからず、人だらけの新宿駅をぐるぐるさまよい、だったら地上に出ればいいや、と階段を上ってみると、こんどは道が渡れず、また地下へ…。いつまでこんなフラフラ歩きが続くのか、一体いくつになったら東京暮らしに慣れるのか、よけいに自分が嫌になってきました。消化のよいお豆腐はしゅんと萎んだようで腹も空き、喉はカラカラに乾いていました。


ビカビカの亀十(フラッシュ焚いただけです)

そのデパ地下の前に、ようやく、たどり着いたときです。あ、あるのです、亀十が。何本も立っているのです、色鮮やかに、お店の旗が。目をこすって駆け寄ると、並んでおります、どさどさと、どさどさと、あのどら焼きが。包装のビニール袋がビカビカ輝き、まるで大判小判であります。黒あんも、白あんも、あるんですよ、泣きたくなるくらい。両手に抱えて、脳天から浴びることができるくらい。
 「おいくつですか」と、白い布をかぶった女の人が、ストンとわたしに尋ねました。えーと、あたし、何才だっけ…と心は呟き、それが求めたい個数であることがわかるまで時間がかかりました。だって、どうしたって、狐につままれてる。いいえ、亀につままれてる。どら焼きだらけの素晴らしい異界。わたしはとうとう迷い込んでしまったのだろうか。


ドガン、と亀十

いいえ、単なる出店でした…。たまたま、亀十が、そのデパートに臨時で店を出していただけ。スカイツリーみやげで人だかりの本店よりも、むしろ新宿の出店に品物があったというだけ。女の人の白い被りものは、よく見れば三角巾。
 でも、驚きましたよ。いえ、驚くという実感を納得するまで、何分もかかりましたよ。

こんなことってある? 大好物が買えなくて、あんまりわたしが落ち込んだので、「亀の神さま」が導いてくれたのかしら。当初は新宿に寄る気もなかったし、もちろん、店が出てるなんて知らなかったし、迷子になったあげく、たどり着いたデパ地下の入口も、ふだん使っているところと別だった…。導かれたとしか言いようがない。
 自販機でお茶を買い、ふたたび電車に揺られながら、「亀十さま」をバグリ。ちょいと行儀が悪くとも、頬張ったのは言うまでもありません。