編集人:新井高子Webエッセイ


3月のエッセイ


  • 大船渡の「嫁に来ないか」 ――粉のお話(28)

新井高子

 2015年2月13日、「わくわくな言葉たち」の第2回目を大船渡市沢川仮設住宅・談話室で行いました。その内容のたよりは追って書きますが、食いしん坊のわたし。まずは、この旅で出会った美味しい粉菓子と大船渡の詩人の皆さんをめぐって綴りたいと思います。  
 『3.11の詩人たち』(大船渡詩の会発行)に詩を寄せた野村美保さんが、第1回目に来てくださったことは、「わくわくな言葉たち」だより(1)」に書きました。そこで、今回、事前にお知らせを入れたところ、大船渡詩の会の簡智恵子さん、鈴木昭司さん、富谷秀雄さんも「わくわくな言葉たち」にご参加くださいました。  
 当地で40年以上続く大船渡の詩の会は、いま、会員数約15名。市民芸術祭での作品発表などを柱にして、活動をしていらっしゃるそうです。代表をつとめる簡さんから、ご自身が選者になった『三陸復興支援詩歌(短歌・俳句・詩)作品集』(「三陸を詠もう」実行委員会発行)の第4集(2013年)と第5集(2014年)をいただきました。土地に根ざした詩の展開があることをしみじみ実感します。


「わくわくな言葉たち」スナップ

作品集第4集

作品集第5集


 さて、わたしの催し「わくわくな言葉たち」は2時間くらい続きますから、途中でしばし、休憩を入れます。そのときです。「あの、ちょっと、アレね……」と談話室のスタッフに目配せをする簡さん。すると、卓袱台の上にご当地名物「なべやき」、登場!   
 三陸鉄道の車内でなべやきを買ったことを綴った第1回目のたよりをご覧になり、手ずから拵え、持って来てくださったのでした。なんと、なんと、ありがたや。簡さんの特製は、黒糖のパンチが効いている上に、塩加減もちょうどよく、シナモンの香り高き品でした。だれよりもほくほくなのが、わたしであるのは言うまでもありませんが、集った皆さん方も嬉しそう……。さらに、なべやきといっしょに並んだカブや白菜のお新香も、懐かしかったです。わたしの桐生の実家でも、お茶の時間には、たくわんや白菜の漬け物がよく出てきたものです。けれど、都会では、煎茶や番茶より、コーヒーや紅茶を嗜む人が多いからか、おやつにお香々をほとんど見なくて……。  
 じつは、今回の「わくわくな言葉たち」では冒頭で、大船渡出身、新沼謙治のヒット曲「嫁に来ないか」の歌詞のことばを鑑賞しました。そこで、お菓子といっしょに話が弾む中で、鈴木昭司さんから、「5時になるとここではビートルズの「イエスタデイ」がチャイムで流れるけれど、「嫁に来ないか」に変えた方がいいと思う」と、発案が……。たしかに、その方が大船渡らしいとわたしも思います。鈴木さんは大船渡市民歌の作詞をされています。


 翌日は、やはり詩の会の一員で、作家としても活躍されている中村祥子さんにお目にかかりました。『北の文学』第66号(岩手日報社)に掲載された「なめとこ山の熊と松吉」、とても面白い小説です。前掲の作品集(第5集)には、中村さんが震災後に書いた詩も掲載されていますので、少し引用させてください。


    更地の街に降る雪のように
    音もなく
    冷たく
    ただ白く寄り添っていた
    あなたを悼んで

    暗黒の街を
    最初に照らしたのは
    信号機だった     (「明日の種」より)

    

 「人も車も通れなくて、まだだれもいないところに、信号だけが光りはじめた」と中村さん。「あのとき、みんな一回死んだんだと思う。運よく生きのびた人も含めて……」とも。  
 史跡や文学碑、海岸風景を案内していただきながら、たいへんな津波にみまわれた大船渡ですが、蛸の浦、千丸海岸の海の色の美しいこと、美しいこと。それは青でも藍でも緑でも紫でもあって、いえ、太陽と波の角度によっては、白にも黒にも黄色にも見え、そのいずれでもない……。こんなにふしぎで複雑な色合いをことばでまとめることはできそうにありません。太平洋の北の美の結晶。  
 蛸の浦の高台には縄文時代の貝塚がありました。四千〜五千年前とのことです。それが、まるでいまに生きる人の「お隣りさん」のように、じつにさりげなく座していました。気仙という土地の、圧倒的な懐の深さがそこに凝縮しているかのよう……。  
 岬の休憩所、「フレアイランド尾崎岬」に立ち寄ったときです。椅子に腰掛けると、中村さんが水筒から温かいお茶をくださり、そして取り出した箱の中には、手作りのお菓子!  
 それは「くるみっとう」でした。なべやきはフライパンなどを使った焼き菓子ですが、こちらは、小麦粉、牛乳、砂糖を混ぜ、くるみを飾った蒸し菓子です。小麦粉の風味をぞんぶんに味わえる、上品な甘さ。もちっとした食感もたまりません。しかも二種類作ってくださり、黒胡麻入りの方は、中村さんのアレンジだそうです。ラップを開けると、香りが立って、口の中も香ばしい逸品……。なんと、なんと、ありがたや。粉のお話をかれこれ30回近く書いてきましたが、このような好運に恵まれる日があろうとは思いも寄りませんでした。
 簡さん、中村さん、心からありがとうございます。


簡さんのなべやき

中村さんのくるみっとう

黒胡麻入りくるみっとう


 大船渡から持ち帰り、夫に分けつつ、ほどなく平らげてしまったわたし。旅が終わっても、そこの産物を食べられている間は、まだどこか地つづきなのですが、食べ切ってしまうと、どっと寂しくなるものですね。  
 お茶休みのことを、大船渡では、「たばこ」と名指すと聞きました。海の仕事や農作業で、いっしょに働く皆さんが一服入れる休憩を、たばこを吸うか吸わないかによらず、そう呼ぶんだそうです。なべやきも、くるみっとうも、その時間の代表選手とのこと。新しいお嫁さんが家に入ると、「たばこ」の挿し入れを作って持っていくことが、まず最初のしごとになるのだと、中村さんから教わりました。美味しいのが作れると、「いい嫁だ」と言われるそうな……。大船渡で「嫁に来ないか」と言われたら、このような粉菓子が作れる女になる、ということでもあるんですね。  
 結婚してからずいぶん時が経っちゃって、あのとき「嫁に来ないか」と言ってもらえたかどうか、その記憶も怪しいけれど(笑)、わたしも作ってみようと思い立ちました。中村さんの黒胡麻のくるみっとうのイメージも加え、じぶんなりの「黒胡麻入りなべやき」に挑戦。小麦粉、牛乳、黒砂糖、塩、卵、練り胡麻(黒)、それからベーキングパウダーを少々入れて、掻き回し、卵焼き器で焼いてみました。  
 簡さんのなべやきがまさにそうでしたが、黒砂糖を混ぜすぎないほうがいいんだそうです。なべやきには、玉砂糖(粒状の砂糖)が向いていて、トロッと、甘みの粒立ちが、焼き上がった生地に残っているくらいがちょうどいい、とか。  
 ふーむ。そこはなんとか、ぎりぎりでクリアーしたけれど、塩加減が少なすぎたなあ……。お醤油でもいいらしいですが、本場のなべやきは、甘さと塩っぱさのバランスが絶妙だったのです。このような郷土菓子は、作り手によって、またそのときどきによって、味が変わっていくのでしょうが、「いい嫁だ」とわたしが呼ばれるのは、一体、いつになることやら……。  
 多少不出来でも、味わいながら目をつむると、ありがたいことに、蛸の浦のあの海の色が甦ってくるようです。


わたしのなべやき

岬にて
(写真であの海の色はでないけれども……)


 追伸)
 先日、ふと閃きました。「あっ、うちのおばあちゃんも、なべやきと似たものを作ってた……、わたしが小学校の頃までは」。それは、小麦粉に砂糖を入れて水で溶き、フライパンで焼いただけのたいへん素朴な粉菓子です。たぶん、膨らし粉を入れてなかったのでしょう。ちょっと厚めのクレープの皮みたいな姿でした。たしか、うちでは「じりやき」と呼ばれていた気がします。少なくとも群馬県東部では、その当時、まだときどき作られていたはず。それが、中学校に入る頃には、市販の菓子などにも押され、ほとんど食べなくなってしまいました。
 もちろん大船渡でも、同じくらいの時期に、ホットケーキやスポンジケーキが庶民の日常に入ったことでしょう。でも、たぶん、そこの女たちは、これら洋菓子系の味と食材をむしろ吸収したんですね。そうして、いまの「なべやき」に進化させたのではないでしょうか。
 こういうこと、考えるの、楽しい!