編集人:新井高子Webエッセイ


3月のエッセイ


  • 「わくわくな言葉たち」だより(2)――大船渡の声

新井高子

 岩手県大船渡市で石川啄木の短歌を土地ことばに訳すプロジェクト「わくわくな言葉たち――大船渡の声」を立ち上げて、はや一年半になります。同県北上市にある日本現代詩歌文学館との共同企画なので、2月23日に行なった第6回目の様子は、文学館のブログにアップされています(http://shiikabun.blogspot.jp/2016/02/blog-post_28.html)。啄木短歌のケセン語訳(大船渡弁訳)、かれこれ70首くらいできました。
 きっかけについては以前書きましたが(http://www.mi-te-press.net/essay/bn1501.html)、これが継続できているのは、純粋に楽しいから! 遅々とした歩みながら、ケセン語をちょっとずつ覚えて、東北弁の抑揚や語彙をじぶんなりに取り入れた詩を書きはじめ、その昔話や神話への興味もむくむく湧いてきました。そして何より、大船渡に友だちができたことが大きいです。大船渡詩の会の中村祥子さん、富谷英雄さんをはじめ、土地に根ざして詩や短歌を書いている皆さんが、このプロジェクトの心強い応援者になってくださっています。

詩集『山吹』

 去年8月に『山吹』という詩集を出版した金野孝子(きんの たかこ)さんも、そのひとり。金野さんは昭和7年生まれですから大先輩なのですが、じつは本に書かれた略歴の生年を見て、びっくり。10才、若く見えるもの。心とからだの根っこが生き生きしていらっしゃるのでしょう。
 今回の「「わくわくな言葉たち」だより」は、詩集『山吹』を紹介します。このように定期的に大船渡に通うようになって、東京中心の渦巻きとは違う文化の流れ、詩の潮流がしっかり息づいてあるということも実感できるようになりました。日本は広い、と思えるようにもなったのです。
 母堂への思いが詰まった『山吹』の前半から、まず詩篇「母の針たち」を引用します。

    母の針たち

立春の陽射しがとても穏やかだ
部屋いっぱいに広がっている
なんと嬉しいこと
なにか始めたくなって
母が遺した針箱を開けてみた
逝って十三年
薄らいできた母だけれど
戻ってきたようで
またうれしくなる

開けたとたん
縫いかけの小袋が出てきた
母が斃れたとき傍にあったものだ
刺したままの針に目が潤みながらも
なつかしさが込みあげてくる

針刺しには数本の針が
無造作にさされてあった
白い紙に包まれているのは
まだ使われていない針たちだ(中略)

隅にある赤い小箱はなんだろう
折れた針 曲がった針が入っていた
母の指と一緒に働いた針たちだ

はっきり見えてくる
生活(くらし)を支えてきた母の姿が(後略)

 立春と言ってもまだまだ寒い2月初旬に、陽光が部屋いっぱいに注がれている。そのことの嬉しさから詩が始まります。ふだん、こういう喜びを見過ごしがちなじぶん自身を省みつつ、金野さんの詩行に寄り添うと、その手はふと、母堂のお針箱を開ける。うららかな天気が、懐かしい箱を誘い出したのかもしれません。
 縫いかけの小袋、刺したままの針。亡くなる直前までお母さんは裁縫をしていたようです。未使用の針はもっと縫おうとする気持ちの表れでもありましょう。使い終えた針を捨てずに、赤いかわいい小箱にしまっておいた心の麗しさ。さらに、その針のイビツさに、お母さんの指の存在感を、ひしひし感じとっていく金野さんの目の確かさ……。
 そこでわたしにも「見えてくる」、感じられてくるようです、家族を支えつづけた老女の面影、息づかい、背中のぬくもりが。立春の陽射しは、じつは母堂の心霊だったのではないか……。そんな想像がしたくなりました。

 去年11月に後ノ入仮設住宅で行なった第5回、2月に永沢仮設住宅で行なった第7回の「わくわくな言葉たち」に金野さんは参加してくださったのですが、そのケセン語の達者なこと! 平仮名で表記するときのコツも教えていただきました。それもそのはず、詩集には土地ことばで書かれた作品もありました。震災を詠んだ詩の中から、

    春ァ見(め)えだ日

なんだべ
がれぎの中さ
黄色い花っこァ咲(せ)ァでだ
なんと
水仙の花っこだがァ
こんなせまこい間っこがら
ゆぐ顔(つさ)っこだしたなァ

あの三月の大津波ァ
平和な暮らしばさらってすまった
それがらずものァ
なにもかも止まった
がれぎの山ァ
言葉も涙も止めだ
空では雪ばりふらせで
季節のめぐりまで止まったど思った

そしたれば なんと
小(ち)せァ手っこさ春のせで
だまァって動いでだものァ
いだったんだねァ
泥水で固まった土ば
押しあげて 押しあげて
花っこ咲がせだ水仙

おらの
眼(まなぐ)ァひかってきた
胸でば大ぎくひろがって
がれぎの果でまで叫(さが)びだがったァ
    おらァ春みだァ
    しっかどみだァ

 「なんだべ」という一行だけで、しゃがんで覗き込もうとする姿勢が伝わります。そこにあったのは、瓦礫に埋まりそうになりながらも、ひるまず咲いた水仙の花。その黄色は、まるで光そのものでもあるようです。
 啄木短歌の大船渡弁訳を聞いていてもしみじみ思うのですが、ケセン語は濁音はもちろんだけれど、余韻もとっても豊かなんです。「黄色い花っこァ咲ァでだ」「だまァって動いでだものァ」、この小さい「ァ」の中にいろんな気持ちが入っている。
 行間だけじゃなく、字間にも言葉が響いていく空間があるのでしょう。その隙き間が書き手の詠嘆を吸い込み、読み手に向かっては、ゆっくり、じんわり吐き出していく……。詩集を読んでいると、金野さんの尊父は赤崎町字跡浜で牡蠣養殖を先駆けた人であったことがわかりますが、言葉も涙も、塞き止めてしまうほどの津波の被害。「おらァ春みだァ」「しっかどみだァ」、この「ァ」の空間には、どれほどの複雑さが抱え込まれているんでしょうか。この土地には、言葉として、それを抱えられる「響き」があることに呆然としつつ……。

 金野さんがご友人と大船渡弁で話し始めると、わたしはぜんぜん付いていけないんですよ。ちんぷんかんぷん。とんちんかんちん。けれど、一方で、地元の赤崎保育園で30年近く保母さんをしていた彼女には、ハイカラなセンスもあるのです。

    連れ添って

初老の男と女がいた
女が男に言った
「ほらいつも水を出しっぱなし」
男が答えた
「時々だ」
女が男に言った
「ほらいつもテーブルに椅子を入れない」
男が答えた
「時々だ」

女は不思議に思った
「いつもと時々を取り違えている?」
男も不思議に思った
「時々といつもを取り違えている?」

見つめ合う男と女(後略)

 金野さんご夫妻の実際の会話は、「ほいやァ、いっづも水ァ出すっぱなし」「たまァにだァ」に違いないのですから(笑)、一世代若い夫婦にご自身を仮託して作った詩と言ってもいいのではないでしょうか。いえ、園児たちに絵本の読み聞かせなどをしてきた、金野さんの若々しく洒落たセンスが、ごくしぜんに「分身=もうひとりの詩の人格」となって、ペンを走らせたのかもしれません。
 金野孝子詩集『山吹』は、三陸海岸に生きるひとりの女性の人生の大きさ、その豊かな振り幅と奥行きを伝えてくれる詩集だと思います。そのからだが、濃厚な土着のエネルギーから現代的なセンスまでを宿らせている。詩の批評には、表現力と同時に、ことばの埋蔵力という観点もあるべきではないか……。そう気付かされます。


三陸海岸

窓を開けると広い海だった
一番先の<おはよう>も海
泳ぎ ハゼ釣り
海はいつも私を招いていた  (「私の原風景―海―」より)


ああ
耳の中がらきこえでくる
舟の走る音ァ
まなぐの奥がら見えでくる
大漁旗のなびぐ姿ァ  (「そんでもこの海ァふるさどだ」より)


*金野孝子著『詩集 山吹』岩手開発産業株式会社印刷、2015年8月刊行