編集人:新井高子Webエッセイ


5月のエッセイ


  • 「甘い」と「しょっぱい」 ————粉のお話(32)

新井高子

サッちゃんの黒蜜ふかし

 2月の「わくわくな言葉たち」で大船渡に行ったとき、友人の詩人、中村祥子さん、通称、サッちゃんからいただきものをしました。包みを開けると、ラップから透けて見えるのは、うす茶色のおこわ。お醤油味かな?
 頬張ると、甘い。その名も、「黒蜜ふかし」。気仙地方の郷土菓子の一つだそうで、茶色のもとは黒砂糖。栗や胡桃や胡麻も入って、たいへん美味。帰りの新幹線で、ぜんぶタイラゲそうになったけど、美味しいもの好きな夫のために堪えました。こっくりしたその風味は、コーヒーにもよく合います。
 そして余韻に浸りつつ、アレレ、韓国に似たお菓子があるよねぇ……。『ミて』の連載メンバーだった詩人、ぱくきょんみさんから「薬食(ヤクシク)」という名の甘いおこわを、やはり手作りで頂戴したことがあったのです。こちらも黒糖を使っていました。栗のほか、棗、松の実などが入っていたかな……。時間をかけて、じっくりもち米を蒸し上げるそれは、韓国では「王様のお菓子」とも呼ばれ、削りたての黒砂糖で作るとさらに格別だと、ぱくさんからうかがいましたっけ。
 岩手と韓国の、楽しくて甘ぁいご縁。

韓国の市場

 そして、そこから、ソウルの市場での思い出が、するする手繰られていきました。たくさんの新鮮な食材が勢ぞろいする市場。国内でも海外でも、旅行にいくと、大事な楽しみの一つとして、わたしはたいてい市場をふらつきますが、韓国のは、とりわけ活気があって素晴らしい。「食の韓国」を支えているのはスーパーマーケットじゃなく、市場なんですね。そこでは、食堂や屋台も軒を連ねていますから、覗き見したり、買い喰らいしたり。
 それは、年末の南大門市場でした。ひときわもうもうと湯気を上げているお店があって、そそられました。縁台には、お客さんの頭が隙き間なく並び、それぞれが大きなお碗を啜っていました。チラッと覗くと、真っ黒な汁。お、お汁粉だ!
 「イゴ、ジョセヨ」。片言な発音から日本人だとすぐバレてしまうのですが、愛敬たっぷりによそってくれるご店主さん。
 ひと匙すくうと、「アレレ、しょっぱいぞ?!」。塩味の小豆粥だったのです。
 「甘い」見かけで、じつは「しょっぱい」。あとで聞いた話では、韓国では冬至のころ、小豆のお粥を食べる習慣があるとのことです。たしかに、ぐっと体が温まりましたっけ。

 それを喰らいつつ、わたしの頭の中は、桐生の実家にスッ飛んでおりました。料理の腕自慢の祖母は、「塩ぼたもち」なるものも作っていましたから。それは、砂糖を入れない、塩味の餡で包んだぼたもちなんです。
 お彼岸やお盆にぼたもちを作るとき、甘い餡は「つぶあん」と「こしあん」の2種類、さらに「塩あん」まで祖母は拵えていたんでした。作る数も半端じゃありません。家族が食べる分だけでなく、優に50個以上は作って、親類や近所に配っておりました。行事の日の朝は、俵型の黒い餅菓子が、ズラッと大皿に並び、壮観でした。
 ただ、じつは、この塩ぼたもちが「わかる」人は少ない。仏壇に線香を上げに来た客人にも振舞うのですが、「この皿は、塩あんです」と言ってあっても、どういうわけか、うっかりしちゃう。というか、この世の中に、甘くない餡が存在すること自体、想像できない人が多い。それで、口に入れたとたん、うッ、なんじゃ?、と顰める眉。
 「甘い」と思ってじつは「しょっぱい」。この逆転は、彼らにとって、かなりのインパクトみたいでした。

 じつは、わたし、塩ぼたもちも好きでした。小豆ならではの風味は、じつは「塩あん」のほうが活きてくるとも思うし、なんたって、豆の香りが抜群であります。大人たちから「たあちゃんは、塩あんも食べられるんだぁ。えらいねぇ」とか、声を掛けられてました。新井家周辺では、いわば「通」の味だったのです。
 いまからすると、子どものくせに、美味しさを感じられる範囲が広かった、と言っていいのかもしれません。わたしは4人兄弟の3番目。ですから、食べ物のとり合いは日常茶飯事で、しかも上にいるのは育ち盛りの兄2人なんで、まともで勝てるわけがない。つまり、甘いものだけが美味しいと思ってる、素朴な子どもだったら、日がな、泣いてなきゃならない。心穏やかに生き残るため(笑)、幼いながらに、いろんな味がわかるように適応したんじゃないのかなぁ……。

 アレレ、脱線してしまいました。
 そうそう、ソウルで、しょっぱい「小豆粥」を啜りながら、懐かしき「塩ぼたもち」をわたしは思い出していた。
 そうそう、新幹線「やまびこ」の車中で、甘いおこわ「黒蜜ふかし」を噛みしめながら、わたしは王様の「薬食」を思い出していた。
 ともに、見た目と逆転の味つながり、日本と韓国つながりでありました。

 それからしばらくした春の日、あのおこわの味が忘れられず、でも、巷のお菓子屋さんには売ってません。「黒蜜ふかし」も「薬食」も。じぶんで作るしかないのかなぁ……。
 とは言うものの、なにしろ横着者。無類の世話好きだった祖母、わたしが40歳過ぎるまで厨房に立っていた祖母のおかげで(?)、料理の「舌」のほうはすくすく育ったけれども、「腕」ときたら、甘やかされたままでした。
 ふと、お釜を見る。この炊飯器には、「おこわ」という設定がある。サッちゃんやぱくさんのように、蒸し器でじっくり、火かげんや頃合いを見ながら、麗しく蒸して上げていく作り方は、わたしにはできそうにない。でも、材料をあらかじめ入れちゃって、スイッチポンなら……。
 自己流アレンジではありますが、やってみました。手抜きな分だけ、おこわは柔らかすぎで、風味は落ちたけれども(料理というのは、じつに正直であります)、なんとかこうにか、でき上がりましたぞ。炊飯器さま、ありがたやー。炊き上がってから胡桃を混ぜて、トッピングに松の実と胡麻を振りかけ、甘栗をのせると、ビジュアルは、なんかソレっぽい。
 きちんと手を掛けたものにも、いつかチャレンジしたいなぁ……と思いつつ。

胡桃を混ぜて

大皿でトッピング

いただきます