編集人:新井高子書評


空白の想像力―樋口良澄著『唐十郎論』書評

 
 

山内則史(新聞記者)


樋口良澄著『唐十郎論』

 唐十郎に初めてじっくりインタビューしたのは、2001年2月10日のことだ。ハワイ・オアフ島沖で愛媛県立宇和島水産高の実習船えひめ丸が、浮上した米海軍の原子力潜水艦と衝突、沈没したというニュースが、唐と一緒に乗ったハイヤーのラジオから流れて来た。翌日が誕生日だから、あれは唐にとって60歳最後の一日だったことになる。
 「私のいる風景」という欄の取材だった。様々なジャンルの表現者たちに、作品世界の原点と呼べる場所に立ってもらう。あるいは作品世界を象徴するキーワードを糸口に、自身の表現に底流するものを掘り下げてもらう。このとき、唐が挙げたキーワードが「都市の穴」だった。
 そろばん塾に通う小学生の息子を迎えに行く途中、自転車で川沿いの道を走ると、流れに口を開けた排水の丸い穴が気になる。あの穴から何か出てくるんじゃないか。それだけなら同じ風に感じる人がいるかも知れない。ここから先が、唐の世界だ。「ゴミになった自分が、あの穴からあふれ出してきたら、なんて考えてしまう」。唐はそう言った。
 樋口良澄著『唐十郎論 逆襲する言葉と肉体』(未知谷)を読んで、この日の取材がよみがえった。第4章「上野・浅草サーガ」で著者は、唐が1944年から45年夏まで、福島県富岡町(福島第一原発事故後、立ち入り禁止の警戒区域に指定されている)に疎開しており、同年3月の東京大空襲などは直接体験していなかったと指摘する。だからなおのこと、終戦後、東京に戻った時に見た、激変した街の姿から受けた衝撃は大きかったはずだ、とも。〈焼け野原に驚異と虚無感を植え付けられたことはたしかだろう。闇市や復員兵、男娼や娼婦たち、したたかに蠢く復興模様も含めて、唐の虚構と現実は、ここからはじまったのだ〉。
 一方、件のインタビューでは、「穴」の話が戦後の風景へつながっていく。〈原風景は、上野の地下だった。生まれ育った下谷万年町に近い地下道は、終戦後、傷痍軍人や疎開先から焼け跡に戻って来た人たちでごったがえした。雑炊などを温めていたのだろう、いつでも湯気がもうもうと立ち込めていた〉
 記事を書いた当時の私は、実のところ唐の疎開にあまり留意していなかった。唐が万年町を離れた空白の時間の意味を受けとめきれていなかった。本書を読んで、見る影もなく変わり果てた廃虚の光景が唐にもたらしたことの重大さを改めて認識した。空襲などの時間が抜け落ちていたからこそ、唐の想像力は、自由にその欠落を補った。空白の時間が〈もう一つの「幻の戦後」を劇として出現させる想像力につながったのではないか〉との推論には、強い説得力が感じられた。
 本書には80年代半ばに状況劇場を見始めた私のように遅れてきた世代にとっても、こうした示唆に富む論考がギッシリ詰まっている。ぼんやり星空を眺めていた者に、あの星とこの星を結ぶと、こんな星座が見えてこないか? と指し示してくれるような一冊なのである。
 たとえば、なぜ唐は海外進出の際、アジアに向かったのか(第5章「闘争と演劇」)。1970年代前半、状況劇場はそれまでと違った動きを見せる。72年3月、「二都物語」を戒厳令下のソウルで上演。73年3~5月、バングラデシュでは「ベンガルの虎」を。そして74年7月、「唐版 風の又三郎」を改訂し、レバノン、シリアのパレスチナ難民キャンプで上演する。私も以前、なぜこの時期、アジアに向かったのかを唐に尋ねたことがある。「寺山の兄貴が華々しくヨーロッパで評価された焦りがあった。向こうがヨーロッパなら僕はアジアへ行こうと思った」。そんな答えだったと記憶するが、もちろんそれだけの理由ではなかったはずだ。
 著者は、唐が映画監督の足立正生との対談で、日本を起点としたこのアジア行脚について「演劇の歩兵作戦」と表現していたことに着目する。〈この四カ所で行われた演劇の内容が、すべて日本の戦後に関わることであることに注意しなければならない。日本の戦後が問い直されるのである。だとすると、唐十郎は、この四辺形に日本のもう一つの〈戦後〉を幻視していたのではないか〉。四辺形の中に日本の、そして自身の拠って来たる歴史の時間を探り、さらにそこからくみ出された演劇的想像力によって、例えば満州の平原を幻視する。
 先日、女優・演出家の木野花に話を聞く機会があった。71年に渋谷の駐車場に立てたテントで状況劇場公演「少女仮面」を見た木野は、「甘粕大尉を演じる大久保鷹が自転車で走ってテントに入ってきたとき、駐車場の闇が本当に満州に見えた」と言った。空間も時間も越えて、いま・ここが異世界と接続されたと実感させる瞬間が、唐の演劇である。
 このほか寺山修司と唐十郎の類似、両者の交差点、あるいは継承点に生まれた舞台「ジャガーの眼」の解読、唐の書く戯曲と小説の関係など、興味深い論考は尽きない。が、本書の特徴として何より特筆すべきは、唐が「状況劇場」解散後に率いた「唐組」について、多くを割いて論じている点ではないか。前者については随分語られてきたけれど、後者を本格的、かつまとまった形で評論した書物は、前例がないと思われるからだ。
 「状況」解散後、若い役者たちを集めてゼロからスタートした「唐組」は、90年代は試行錯誤と模索を続ける。が、2000年代に入って快進撃に転じる。このころ、劇団という運動体の中で個々の役者たちが着実に力を付けてきたのと同時に、唐の描くものの焦点にも顕著な変化が現れる。(第9章「もの」の逆襲)
 「糸女郎」(02年)の製糸工場、「泥人魚」(03年)の漁協と漁民、あるいはブリキ屋、「津波」(04年)の製陶工場、「行商人ネモ」(07年)の倒産した紳士服店と行商、「黒手帳に頬紅を」(09年)では炭鉱。唐は高度消費社会、情報化社会の中で置き去りにされたような場所と人々を描くようになる。〈こここそが現代日本の主戦場だといわんばかりに、肉体を使う労働の現場を描き始める〉のだ。それは、〈肉体を使って行為することの中にある、一回性、他者との関係性、場の出来事性も、いまや、社会から排除されようとしている〉世界への、唐の一つの挑発だったろう。〈排除されるものへの幻想と、その逆襲を描き続けることで、現在を批判的に描こうとしている〉のである。
 そして〈肉体を使って行為することの中にある、一回性〉こそ、唐十郎の演劇であることは言うまでもない。80年代に始まった高度消費社会、それに続くバブル経済と崩壊、そしてインターネットの情報革命。これら時代の激変を越えて、唐の〈特権的肉体論〉は、大きなループを描くように、いま・ここに回帰している。
 唐十郎が21世紀に入って闘おうとした対象は〈媒介〉だったと著者はいう。〈彼は演劇的に、そのことに〈直接性〉を持って対峙した。(中略)肉体、テント、集団……。だから肉体の思想を手放さなかった。(中略)すべてが媒介性や間接性でおおわれようとしている現代社会を、唐は〈直接性〉の力から逆襲しているのではないだろうか〉
 だから著者は、唐を〈逆襲する「旋風」〉と呼ぶ。本書を読み進むと、様々なことが唐十郎、紅テントという磁場を巡ってループを描いて再襲来していることに気づかされる。たとえば横浜国大の教え子たちが結成した劇団「唐ゼミ☆」や、状況劇場の役者だった金守珍が率いる劇団「新宿梁山泊」は、唐の旧作を次々と再演してきた。唐は青と紫のテントで自作と再会することを通じて、新作を書く刺激を受けた。過去の作品が唐自身に襲来し、そこから新しいドラマが生まれているのだ。
 最後に、ループし回帰する最大の出来事として、昨年の東日本大震災に触れなければならない。戦後の廃虚という原風景から出発した唐は、いま再び、大いなる廃虚と直面することになった。東京とフクシマを結ぶ線を往還する、唐十郎の劇的想像力。唐は震災を経て、昨年秋に「西陽荘」、今年春に「海星」を唐組で上演、唐ゼミ☆に新作「木馬の鼻」を、新宿梁山泊に「紙芝居」を相次いで書き下ろした。創造エネルギーのただならぬ噴出は、「震災後」と無縁ではありえない。唐の中で、新たな胎動が起きている。
 こんな想像を巡らせていると、私が唐にインタビューしたあの日、原子力潜水艦と水産高校の実習船が衝突したこともまた、何か象徴的な意味を帯びて、いま・ここに回帰して来るのを感じる。

(詩誌『ミて』119号初出)

* 樋口良澄著『唐十郎論――逆襲する言葉と肉体』未知谷、2012年1月刊行、2100円
* ご購入は、こちら